普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

靴屋のおじいさん、実は経営者気質説

「こびとの靴屋」というお話はご存知の方も多いと思う。こびとが夜な夜な靴職人のおじいさんの代わりに靴を仕上げてくれて、その靴はおじいさんが作る靴よりも高値で売れてそれが何度か続いておじいさんもおばあさんも裕福になって幸せにくらしましたとさ、的なものだ。

このお話、どうしても引っ掛かるものがある。こびとが靴を仕上げてくれるのは代わりに労働をしてくれているのだから結構なことだが、その成果物が本人のクオリティ超えちゃって良いものなんだろうかと。

そもそもおじいさんは腕の良い靴職人という設定のはず。作品のフィニッシュを他人に譲って、あまつさえ自分の作品よりもゼニを稼ぐ作品が出来上がっていることに何も感じなかったのだろうか。

頑固一徹当代きっての靴職人、気に入らないことは拳で解決、不出来な靴は煮込んでやぶくみたいな人物かと思っていたが、意外に経営者気質だったということだろうか。労働はアウトソーシング、頭(デザイン)も身体(作業)も使わずに稼げるならそれに越したことはない。やだ、汚い。なんなら拝金主義なんじゃないの、このおじいさん。

幾晩も同じことを繰り返しているというのだから確信犯である。しかも最終的に富豪になっちゃって。最終的に作業中のこびとを確認し、お礼の品を渡して特にトラブルなく話は幕引きとなる。労働に対するお賃金だよね、それ。このお話の教訓は「助けてくれたひとにはきちんと感謝をしましょうね」ということのようだが、「できる人材は宝!」なのではないのか、本当は。

靴屋としての才能、商才に限界を感じたおじいさんが新しい風を求めたという町工場のサクセスストーリーのようにも思える。そのうち変なセミナーとかで稼ぎだすぞ、この老人。

と、まあいつものようにお話にだる絡みしてしまったわけだけれども、改めてあらすじなどを調べようとネットで情報を得ていたら「こびとの靴屋 こわい」とサジェストされた。

どういうことかと調べてみたら、こびとの靴屋は3章仕立てとなっており、有名な靴職人の話が1章、2章は時を超えるこびと、3章はひとさらいのこびとが登場するらしい。すべてで同一のこびとであるかどうかは言及がなかったが、わざわざ1つの本にまとめられていることを考えると同一なんだろうか。でも見た範囲では各章のつながりはあまり感じられず、別の場所、時代で起こっていてもおかしくないような雰囲気であった。

お米の料理屋さんというお店があったとして、そのメニューがチャーハン、パエリア、おかゆと言われたらどうだろうか。「そりゃお米の料理屋さんだから間違ってないけどね」とは思うだろうが、「もうちょっと統一感あったほうがいいんじゃない?」とも思うだろう。3章仕立てのこびとはそう思わせるものがある。譲って同じ種族までだな。同じこびとではない。たぶん「こびとの靴屋」っていうタイトルの実質「世界のこびと話集」みたいなことなんじゃないだろうか。

こういったことを考えたのも、子の寝かしつけで利用しているDream Switchでお話を見たからだ。やっぱりこどものころから知っている話でも大人になってみると感想は異なる。

ちなみに、妻がDream Switchを使って寝かしつけを行うとき、150%くらいの確率で「おむすびころりん」を流す。完全におむハラ(おむすびころりんハラスメント)である。でもおむすびみたいな愛嬌のある育ち方してくれるならおむハラも一興なのかもしれない🍙