普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

身体の内側のなにかしらを叫びによって放り出す

今日は文化の日。祝日で仕事は休みではあったのだけど、なんだかんだと平日よりも慌ただしく過ごした。

それというのも教習所やら新居の視察やらとあまりいえでゆっくりというわけにもいかなかったことによる。そのうえ教習所あとにそのまま透析にきているのでシンプルに家にいる時間が少なすぎる。

しかしやっとのことで教習所については学科をすべて受け終えることができた。

そこでこれである。

今週のお題「叫びたい!」

学科修了の喜びを太古より伝わる叫びというエモーショナルな方法によってあらわしたい所存である。

そうは思ってみたものの、四十路の中年男性が理由は何であれ大声を発して感情を露わにするのは問題がある。ここはひとつ当ブログの一文字、一文字を喜びの雄叫びとして受け止めていただきたい。一文字110dB(電車通過中のガード下くらい)の気持ちでいっときましょう。

とまあ気持ちとしてはそれでよいのだけど、これで終わりというのも味気ないので「叫びたい」に関するエピソードなどひとつ。

 

中学1年生のころ、病気の具合があまりよろしくなく、いろいろ下降気味の時期があった。特に血圧などが顕著で一番ひどいときうえが280とかいう冗談みたいな数字だったのだ。水銀血圧計で看護師さんが直接測っているのでちゃんとした数字だと思われる。

そんなこともあり血圧由来による頭痛が頻発していた。そしてそれによって学校も休みがちであった。それはもう気持ち的にくさくさするわけである。

そんなときのなんともやりきれない気持ちのもやもやを発散する方法として当時「全力で叫ぶ」という方法が自分の中で採用されていたのだ。

ちょっと意味がわからないという方、大丈夫。僕も全然意味がわかりません。自分のことながら。

当時家には母と僕しか暮らしていなかったのだけど、2階でいきなりぼくが「あぁぁぁーーーーーっ!!」とか叫びだしたりしてたわけだから母も何事かと思っただろう。特に何か言われた記憶はないけれども。

ただ、その後入院のときに母と看護師さんと入院に関する事前打ち合わせみたいなことをしたたときに「息子さんのストレス発散方法は?」という質問に対して「思い切り大声で叫ぶことみたいです」としれっと答えていたので案外「そんなものか」くらいに受け止めていたのかもしれない。こういう本人がそうならそうなんでしょ、的なところ、すごく母に似たなと思う。もしくは母も子供のころむやみに叫びまくっていたのかもしれない。

その後、全力絶叫によるストレス発散ということはしなくなっていった。ストレス自体が少なくなったのか、なんかやっぱこれは違うなと思ったのかあまり覚えていないが、奇行には違いないのでおさまって良かったと思う。

それが10代までの話だ。20代になってまた叫ぶタイミングがちらほらあった。お酒を飲んだときである。

20代前半のころも今と同様酔うと上機嫌になることは変わりなかったのだけど、今のように酔えば酔うほどに汚泥になっていくことはなく、なんだかもう身体の内側からテンションが溢れ出てくる感覚に見舞われていたのだ。さすが若者。

溢れ出てくるテンションを昇華させていたのが全力の叫びということである。あのころ酔っ払ってよく大声出してたんですよ。ほんと、迷惑なことしてたなと思います。渋谷とかでもやっちゃってたし。今の若い世代のこととか何も言えないっす。せいぜい「やめておくと将来思い出し苦みばしった顔とかしないですむよ」くらいのことしか言えない。

20代中盤以降はむやみやたらに叫ぶというようなことはしなくなったと思う。たぶん。それというのもバンドをやっていたからというのは大きいかもしれない。定期的にライブをやってちょこちょこ叫んでいたのでふだんの生活でまで叫ぼうという気持ちは失せたのかと思われる。

なんだか叫びたいじゃなく叫んでいた話になってしまった。しかも喜びとか関係なくなってしまったし。まあこのブログはそんなものですわな。

一文字110dBということで本日のブログの文字数(1700文字くらい)だと187,000dB分はあるということだな。何がかわからんうえに意味もよくわからないということで今日はこのへんでお開きにしときましょうか。

 

では、思わず叫びたくなるひともいるかもしれない夕焼けの空をどうぞー!

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