子供のころを思い返すとなんだかひとりで遊んでいた記憶が多い。特に小学校低学年までの時期はその傾向があったように思う。
友達がまったくいなかったということもなかったと思うし、それなりに社交性のある子供ではあったと思うのだけど、なぜだったのだろう。
ある日、どういったシチュエーションだったか忘れてしまったけど、幼稚園に通う道をひとりでとぼとぼと歩いていた。今その状況を見かけたら迷子なんじゃないかと心配してしまうくらいの単独行動っぷりである。
道端の気になるものに吸い寄せられながらあてもなく歩いていると前方から中年男性がやってくる。特に警戒することもなくすれ違おうとしたその刹那、
「おいてめえ!なにふらふら歩いてやがんだ!邪魔だよ!」
と、突然恫喝されたのである。
散歩中の幼児になんたる所業。今なら事案である。いや今じゃなくても充分に事案たるものではあるし、それどころか下手したら事件性すらただよう出来事だ。
しらないおっさんにいきなり怒鳴られ、怒鳴られる理由も幼児なりに考えはしたものの思い当たることはない。なによりふつうに怖い。
ぎゃん泣きしましたとも。それはもう。泣かないわけがない。そんな僕をなだめることもなくおっさんは歩み去っていた。しかし、泣きながらも家に帰ることなくそのまま散歩を続けたという記憶がある。どういう神経をしているのか自分のことながらよくわからない。幼児は自由だな。
ひととおり泣きちらかし、心に余裕も出てきたのでそろそろ帰るかと踵を返し、家へ向かい始めると、先ほどの中年男性がまた眼前に現れた。緊張にこわばる幼児。当然だ、ついさっきいきなり怒鳴りつけられたのだから。
相当に身構えおろおろとしていたが、何やらさ先ほどと様子が異なることに気づく。怒鳴りつけおじさんが満面の笑顔でこちらに向かってくるのである。そしてこう言ったのである。
「さっきはいきなりごめんね〜。はい、これあげるから。」
そうしてファンタオレンジを差し出してきた。張り付いたような笑顔でだ。これもこれで怖い。
しかしそこは幼児。喜んで受け取り、得したなとホクホクであった。しかも帰り道の途中でなんの疑いもなく飲み切った。危ない。
しかしあの怒鳴りつけおじさんはなんだったのだろう。思えば昭和の出来事だ。昭和っぽいといえば昭和っぽい。今あんなのがいたらただじゃ済まないだろう。SNSで私刑に処されるぞ。
そういう意味ではあの日あの時でよかったな、などと怒鳴りつけおじさんに対して謎の感慨をおぼえるのであった。
単独行動が多いゆえに緊急事態が発生しても自分で処理しなければならない。
上記より少し成長し小学校に入学したころ、放課後にまたもやひとりでうろうろしていた。この子は本当に大丈夫なのかと思ってしまうが結果は推して知るべしである。
この日は自転車で高架下にある小さな公園に遊びに行っていた。その公園には飛行機型のジャングルジムがあり、それを目当てにその公園を訪れていたのだ。
飛行機にはプロペラがある。ジャングルジムの飛行機にもプロペラがついていた。しかも回転するのだ。子供がはしゃぎ回る仕様といえる。
当然僕もプロペラに向かってジャングルジムをよじ登った。そしてプロペラをつかみ、プロペラの上に乗ってやろうと全体重をプロペラに乗せたその瞬間、ぐるんとプロペラは回転し、僕はかろうじてつかんでいたポイントを支点とし振り回される格好となった。
振り回された結果、かろうじてつかんでいた手もほどけ、回転の力も加わって地面に叩きつけられた。背中から。幼児にはちょっとした高さである。そして結構な衝撃。息ができなくなるやつに見舞われた。
しかしそんな現象が起こることを幼児が知っている由もないため、本気で死を覚悟した。挙句ひとりだ。誰かに助けてもらうことも叶わない。
で、どうしたかといえば、急いで自転車に飛び乗り、泣きながらも全速力で家に帰った。息はできないけど涙はでるなんて入出力のバランスおかしいだろう。と、今なら思うかもしれない。
ジャングルジムのプロペラの回転で地面に叩きつけられて息ができなくなってしまうおじさん。事案である。
家に着く頃なは呼吸も落ち着き、母に顛末を報告して一件落着となった。
こうして振り返ってみると子供の頃の僕はめちゃくちゃマイペースだったのだなと思える。今でもかなりマイペースなほうだとは思うけれども、段違いでマイペースだ。なんならちょっと変な子だったかもしれない。
じゃあ今はどうなのかと言われたらそれもやはり推して知るべしだ。