普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

お風呂は住居敷地内にあって欲しい派

今日、Twitterでこんな記事が話題になっているのを見かけた。

タイトル通り、賃貸物件を選ぶときに風呂なし物件を借りる若い世代がいるのだという話だ。

まっさきに「お風呂ないとかそんなの無理」と思い、妻にもその胸の内を吐露したが、あくまでもここで対象になっているのは【若者】である。おや、わしおじさんやぞといったん冷静になって考えてみることにした。

枯れゆく僕にも若い頃というのは当然あった。今は絶対に風呂なし物件などには住める自信がないが、若い頃であったらどうだったろうか。家賃が大きく下がるなら風呂なし物件を選択肢に入れていたかもしれない。

20代の頃は家には眠りに帰っているだけというような時期もあったので、それを考えると風呂なしを気にしなかった可能性はある。なにしろ勤め先のライブハウスの床に転がって寝ていたような時代ですからな。午前中に酒屋が酒を配達しにきたときに床にひとが転がっていて驚いていた。そりゃそうだ。

今考えるとそうとうに危うい生活だ。まあそのときは楽しかったから全然気になっていなかった、というかむしろ楽しんでいたけけれども。

結局そういう感覚で今の若い世代は風呂なし物件を受け入れているのかもしれない。ただ、妥協なのか、「あえて」なのかは気になるところではある。住宅につぎ込む予算が潤沢にあったとしても風呂なしを選ぶものなのだろうか。

記事中には築年数の経過した物件もレトロでよいという意見もある。たしかに若い世代には真っ先に神田川かぐやひめ)が思い浮かぶような和室の西日しかささなそうな部屋は新鮮なのかもしれない。たとえ風呂なし、あげくトイレが共同であったとしても。僕はトイレ共同はかなり無理だな。たとえ若かったとしてもこれは変わらなかったと思う。

記事内では徒歩5分圏内に銭湯もあるし、というがお風呂入りに行くので5分かかるってどんだけの大邸宅だ。しかも有料だし。あえて風呂なしを選択しているなら楽しめるかもしれないが、コストカットのために風呂なしに住んでいるのなら銭湯代ももったいなくて毎日風呂に入るという行為をしなくなりそうだ。これはなかなかきついかもしれない。文化的であれ。

それと、「風呂なし物件というのもおもしろいかなと思って」と言う若者もいたという。おもしろい…か…?どの種類のおもしろさなんだろう。これもジェネレーションギャップというやつだろうか。

そもそも、銭湯は24時間いつでも入れるわけではない。たぶんお昼過ぎ以降であるということがほとんどだと思う。そうであるとすると、突発的にどうしても入浴の必要が出てきたときにお風呂に入れない。

突発的に起こる入浴の必要性はなにかといえばおなかの調子が悪くて大人としての尊厳を保てなかったときなどだ。そんなときに全身綺麗にできないのは精神衛生上よろしくない。もちろん公衆衛生的にも。ぼ、僕じゃないですよ。

好みは千差万別だし、そのひとがよいと思ってるならよいんじゃないかなというのが基本ベースとしてはある。ただ、この記事では「風呂なし、ありじゃん!新しい若者文化!」的に書かれているのだ。この記事に反応していたひとびとの多くが言及していた「それは新文化ではなく、貧困」というのが結局そういうことなのかなと思ってしまったりする。お金あったらたぶん風呂あり物件を選ぶひとが大半だと思うので。

あとね、若いうちは全然よいと思うのだけど、40代、50代、それ以降になって家賃抑えたいから風呂なし物件に住んでますって言ってる中年を想像してほしい。めちゃくちゃ悲壮感ないですか。このまま本当に「あえて」の風呂なし物件選びが浸透していけばそんな感情というのもわかなくなるのかもしれない。そういう未来があるならそれはそれでおもしろいな。

お風呂についてこんなことを思うようになったとは僕も文化レベルがあがったな…(遠い目)

でもこんなことで文化レベルがあがったと思っているあたり、もとの水準が如何ばかりであったかをお察しください♨️

 

お風呂の写真とかなかったので数年前に行った板橋あたりのスーパー銭湯の飲食スペースの写真でも。

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