普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

真冬の病院脱走騒ぎ

中学の頃、病気の療養のために入院しながらその付属の学校に通っていた時期がある。中1の終わり頃から中学を卒業まで。途中転院などしていた時期はあるけど、2年は入院しっぱなしだったということである。中学生と言ったらまあまあ多感なお年頃。その時期に親元を離れ暮らすと言うのは少し特殊な環境と言えたかもしれない。

ちなみに同じ病棟に入院していた患者層は小1から中3まで。高校生もいたのだけど別の病棟に入院していた。みんな何かしらの病気であるということ以外は寮暮らしのようなものだったと言えただろう。

入院したてのときにあれこれタイミングが悪くてすぐに周りに馴染むことができなかったのだけど、さすがに1年も経過するころには打ち解けていた。それどころか少し調子に乗っていた。入院当初のエピソードは以下。

当時中学2年生の僕は少し腐っていた。病気の具合もあまり良くなく、腹膜透析という治療を行いながら制限の多い日々。こちとら我慢しているのに医師やら看護師さんから何かというと口うるさく注意を受ける。「僕の気持ちなんてわからないんだ!わかってもらえるはずもない!」とか言って少し泣いちゃったことなんかもあっったりして、綺麗にこじらせていたのだった。

くさくさした気持ちを病棟の入院患者同士で分かち合う。入院患者同士と言っても同年代の中学生なのでこれまた鮮やかにこじれている。この鬱屈とした日常を覆してやろうなどとうそぶくことも常だった。

そんなある日、誰からともなくやけに具体的な提案がなされる。

「脱走しちゃおうか?」

病棟からの脱走が提案されたのだ。言った本人はいつもの軽いノリだったのだろうと思う。しかし中学生男子と言ったら地球上で最も頭が悪い生き物である。そのくせ勢いだけはあるから始末が悪い。「おもろいね!やろう!」ふたつ返事で乗ってしまったのだ。主に僕が。

その場で脱走についての計画が立てられた。と言っても具体的な案は確かろくに出てこず、実行は消灯後、看護師さんたちを欺く方法は、などそのくらいしか話されなかったと思う。ほんとおばかさん。

確実な非日常を手に入れられるとうっきうきで消灯を待ち、頃合いを見計らってベッドを抜け出した。見回りの看護師さん対策は洗濯ものをためる用のバケツに布団をかぶせておくというバレないわけがないガバガバのざるダミーを施した。

胸躍らせながら脱走同士の部屋へ。メンバーもそれなりのテンションで待ち構えているのかなと思ったらふつうに寝ていた。当然起こす。

「え…?マジでやんの…?」

あれ?そういう感じ?ノリノリだったのって自分だけ?と、今ならそりゃそうか〜と冗談が通じていなかった自分を恥じ、そそくさと自分のベッドに戻るのだろうけど、なにぶん男子中学生である。頭の悪さに反比例して勢いだけは抜群にある。そして度胸とか根性という男子中学生があまり持ち合わせていない方が良いものを重んじていたのだ。「やらないとかないでしょ」メンバーを叩き起こして夜の闇へと歩き出した。

歩き出して気づく。目的地を決めてない。

なんなん?ほんとになんなん?どういうつもりなの?としか思えないが、男子中学生は「なんとなく脱走したかった」という思いだけで本当に脱走してしまったのだ。当然目的地などない。ただもう歩き始めてしまっている。仕方がないので目的地はいつの間にか責任者になっていた僕の実家とした。

ちなみに入院していた病院は人里離れた場所にあり、僕の家までけっこう距離があった。今調べたら30km弱あった。夜のうちにどうにかできる距離ではない。ちなみに季節は真冬です。2月とか。

最初のうちはテンションにまかせて軽口たたきながらひたすら元気に歩いていたが、だんだんと口数は少なくなってくる。そりゃ真冬の夜の道を寝不足のまま歩いていたら弱りもする。

えーと、言わないでもお気づきかと思いますが、この脱走はきっちり失敗に終わりますのでご安心ください。結局どういった幕切れだったかというと、あまりに弱ってもうどうしようもないってなったところでたまたま、本当にたまたま商店があり、そこに電話ボックスがあるのを発見したのだ。そしてこれも本当に偶然、計画性一切ゼロでポケットに存在した10円硬貨で母に泣きの電話をしたのだった。

病院は当然騒然としており、母に脱走の旨は伝えられていたので場所だけ伝えると真夜中でありながら母は即座に現場に駆けつけた。車から降りるや否やつかつかと僕の前に近づく母。「はあよかった…」と胸をなでおろそうとしたその刹那、グーパンチでぼっこぼこに殴られた。

いや、そらそうよ。殴られもするわ。むしろそのくらいで済んでよかったじゃないのまである。そこにお店がなくて、あったとしても10円を持ってなくて、持っていたとしても母が場所を特定する前に電話が切れてしまっていたりなんかしたらふつうに死んじゃってたかもしれないわけなので、もう100発くらい殴られとけという話である。しかもそんなに乗り気じゃなかった脱走メンバー道連れにして。罪深すぎる。

その後はひととおり殴られて母にサルベージしてもらい病院に送り届けられ、こってり怒られたのである。当然。母からは「どうしたの…?なんで…?」と悲しそうに問われたが、まさか「なんとなく楽しそうだったから」などとは口が裂けても言えるわけがなかったので「日常に嫌気がさして」的な尾崎豊テイストのある言葉でお茶を濁した。

言い出しっぺは僕じゃないのだけど、ノリノリ過ぎたのは僕だったわけで、首謀者は僕ということになった。その責任として相部屋から個室に移動させられ、一定の期間部屋の外に出ることを禁じられた。完全に僕が悪いんだけど、独房行きみたいなことになったのである。

独房生活では荒みに荒みきっていたなあ…看護師さんの僕を見る目も冷たいし(当たり前)。ただ、そこは男子中学生。持ち前の知能の低さでわりと早めに立ち直ったのであった。

これが中学2年の今の季節くらいの話。やったことは愚かでしかないけど、この年齢になると置きに行った判断が多くなってくるので勢いだけで行動していた脱走騒ぎも人生のスパイスにはなってたのかなとか思ってしまったり。

いや、当時の関係者のみなさんには本当に申し訳ないという気持ちは持っておりますので。大変に申し訳ねえです。もしこのブログを関係者の方が見るようなことがあれば連絡ください。ガチのお詫びしますので。