普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

「本当の自分」なんて思い上がりなのかも

今でこそ特に取り柄もない凡夫として日々を過ごしているが、かつてはけっこう本気のバンド活動をしていた。今の状況から、芽が出ずに終わってしまったのはいうまでもないが、当時生活の中心には音楽活動があり、むしろ音楽活動の周りに私生活があったと言っても過言ではない。スコッチエッグでいうところのたまごの部分が音楽活動、ひき肉が私生活だ。いや、でもあれはひき肉がメインなのか…?名前にもなっているくらいだしやっぱりたまごがメインだよな、うん。ちなみに衣の部分はバイトなどかな。外側も外側。

はてなブログのお題?なのかコラボ企画なのかよくわかっていないのだけど、こんなテーマがあった。

「しなきゃ」である。この場合の「しなきゃ」は世間の目や自分の思い込みから、本当の自分を偽って物事を続けてしまっている状況を指すのだと思われる。

それと本気のバンド活動とどう繋がってくるのか、好きでやってたんと違うんかいという話になるだろう。もちろん好きでやっていた。音楽がない生活など考えれられないと一点の曇りもなき眼で堂々と誰もに伝えることができた。

しかし、その本気すぎる思いがいつしかねじれたアイデンティティを作り上げてしまっていたのだと今ならば思える。好きでバンドをやっているはずなのに、いつ頃からか「バンドをやっていなければいけない」「バンドをやっていない自分に振り向くひとなどいない」と思うようになってしまっていたのだ。

先述の通り、生活のすべてをバンド活動に注ぎ込んで、人脈にしろ、時間にしろ、金銭面にしろ自分の持つありとあらゆるリソースはバンドに充てた。そんな自分が音楽をやめてしまってどうなる?何も残らないじゃないか、と。

そうなると「バンドマンでいなきゃ」の思いが心の表層を覆い、本心に気づかせないようにしていたのだ。

と、一応言い訳だけしておくと、そういう思いで活動をしていたのは本当にやめる直前だし、そう思っていることに気づいたからこそ「ひとまず休止」というつもりで活動することをやめたのだということをご賢察いただきたく。

自分の場合途中下車してしまったので、仕事としてではない音楽活動を生涯のライフワークとして続けているひとは本当にすごいなと思う。そしてそれを好きでやれているのなら尊敬に値する。そのまま活動を続けていたら最終的に弁天さまとかミューズ(どちらも音楽とか芸事の神様)とかになるんじゃないかと思うので功夫を積んで欲しい。

で、結局のところ最終的に「しなきゃ」で続けていたと気づいてしまったバンド活動をやめてみてどうだったか。

なんということはない、僕は僕でしかないのでのんべんだらりと生きるだけなのであった。思えばそんなことを思えるまでバンドに時間を割けて幸せだったのだろうな。強制終了しなければいけない状況に出くわすひとだって世の中にはいるのだろうし。

それにしても、バンドやめた自分が無価値だ、なんてどれだけ自分を過剰評価しているんだという話である。ま、そのくらいのこじらせ勘違い脳はバンドやるなら必要といえば必要なのだけど。ちょっと本気で妻(当時は彼女)から振られちゃうんじゃないかなとまで思ったりしていたのだからある意味幸せといえば幸せな思考だ。

ただ、その後知り合ったひとで元銀行員で銀行員時代に結婚して、起業して銀行員ではなくなった途端に別れを告げられたというケースもあったというので肩書きだけでひとを見るひとというのは間違いなく存在するのだろう。妻がそんなひとじゃなくてよかった。

話がそれてしまったけど、「こうでなければいけない自分」などというものはただの自意識過剰であることがほとんどで、思い込みで生活がギスギスしちゃったら面白くもないし、みんなふわふわ生きたらいいんじゃないかと思う次第です。今の時代ひとりで音楽やろうと思えば(お金をかければ)いくらでもできるし、そろそろ曲でも作っちゃおうかなと思ったり思わなかったり。

ブリッジがばいーんとなりそうでひやひやする壊れ方