帰省をしなかったことにより、かなりのんびりとしたお正月となった。
いや、のんびりどころではない。これは自堕落というのではと思うほどに無為な時間を過ごしてしまったような気がする。
しかし日本には古来より寝正月という言葉がある。そんな言葉が生まれ、定着しているのだからわりとスタンダードなお正月の過ごし方と言えるのかもしれない。
そもそも、帰省していたとしても初詣やお寺への年始の挨拶以外は家で母の録りためた相棒(ドラマ)を眺めることで1日が過ぎていくことを考えると場所が変わっただけで内容はそんなに大差ないとも言える。
実際なにをしていたかといえば少し前にブログにも書いたゲーム、デスストランディングをやり倒していた。ストーリーもあまり進めずに荷物の配送依頼を受け、道路を造るための建築資材を運搬していた。内容が普通に労働だ。
1日中ゲームをやっていたというだけで結構ダメなお正月の過ごし方、ひいてはお正月以前に可処分時間の使い方としてどうなのかといったところだが、これだけまとまった時間ゲームが出来ることも最近そうはなかったのでこれはこれでありかもしれないなどと少し開き直ってもいる。
それよりも食生活がまったくもってなっていなかったことの方が問題で、
昨日の夕飯はご覧の有り様だ。ザ・自堕落。
それにしてもこの商品、野郎ラーメンの汁なし麺ということで汁なし野郎ということではあるのだろうけど、なんというかこの汁なし野郎という語感、引っ掛かりを感じるのだ。ちょっと悪口みがあるというか。有り体に言ってしまうと不能な男へ対しての捨て台詞みたいな。
洋画などの翻訳で腑抜けの男性に対して玉無し野郎などと罵声を浴びせることがあるが、それのもう少し立ち入った、えぐり込むような罵声に感じるわけだ。しかも汁なしって判明している時点でそれなりの関係であるわけで、そんな相手からの罵声としてはなかなかきつい。泣いちゃう。
元日はしっかりおせちを食べて行事食だーって喜んでいたにもかかわらず、2日目にしてこの体たらく。落差がすごい。一応言っておくと妻が留守だったのでこれで済ませたというのはあるけれども。
過ごし方、食事と一人暮らしを始めた頃のようなことになっているけれども、飲酒事情だけはあの頃と違う。コロナの件もあって飲みに行くのもはばかられるし、お酒くらいは良いものを、と元日のブログで宣言したように普段よりちょっとだけよきお酒を買ったのだ。
これだけで2回飲みに行ける。こういうところに躊躇なくお金を使えるようになったのだなあと謎の感慨を味わいつつも、やっぱりもったいなくてちびちび飲んでいる。そして値段を出すことが確実に好みのスコッチを手に入れる方法なのだなと改めて思う。アイラ系はやはりうまい。
休みはまだあるのでまだ同じような過ごし方をしてしまうかもしれないけれど、世間では緊急事態宣言発出の可能性が出てきた。でもこの過ごし方ならあまり関係ないわけだけれども。
感染することによる体調の変化というのも僕の場合心配ではあるには違いないが、その火消しというか、方々への報告や立ち回りのほうが面倒なので絶対に罹患したくない所存だ。会社にも透析クリニックに対してもめちゃくちゃ気まずい。そういうの全然気にしないひとが渋谷にカウントダウンとかに行くのだろうか。
でも僕も若者だったら「要請」とかっていうお願いだけの緊急事態宣言なんてないのと同じくらいに思っていたかもしれないな。さすがに渋谷のカウントダウンは行かないけど。
疫病によって自分も大人になったのだなあと思わされる妙な気づきもあるものだ。
コロちゃんたら迂遠すぎ。