普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

最高の素材をそこそこの調理で提供できたらよき文章なのでしょうな

今週のお題「日記の書き方」を見て、ブログ自体はそこそこ続いているけれども自分の場合「日記」かっていうとそこまで日記でもないと思えた。ただ、やっぱりその日にあったこと、思ったことを記録していればやはりそれは日記なわけで、それをコンテンツ化できているひとがいるというのもまた事実。むしろ僕はそういうものに憧れてブログを続けている側面もあると思う。

書き方というほど大袈裟なものではないのだけど、僕の場合は出来事に対しての思いをアウトプットしているというごくオーソドックスな書き方だ。しかし”出来事”という素材を調理はしている。日々色々な出来事は起こってはいるものの、何もかもがそのままひとに提供しておいしい(面白い)というものでもない。最高の素材は生でもいけちゃうかもしれないけど、火を通したり味をつけたりと手を加える必要はあるわけで、場合によっては特定のひとが好みそうな味付けにすることだってある。

出来上がったものがきちんとおいしいのかどうかはもう自分でわからなくなっちゃってる場合も多々ある。リアルに料理していても味が決まらなくて結局オイスターソースいれときゃいいんだよみたいになることあるじゃないですか。そんなことになるならと最初からポン酢かめんつゆにごま油たらしとけば失敗はしないよねという話になってしまうと思うのだけど、それは”いかがでしたかブログ”みたいなことなのだろうな。それをやれば誰だって同じものが出来上がる、けどそれ料理って言わないじゃんみたいなことで。

やっぱりそれなりにオリジナリティがあるものを提供したい。僭越ながらそんなことを思いながらでやらさせていただいております。この場合味付けというのは書き方のことになるのだと思うので、素材は出来事ということになると思う。味付けに関してはオリジナリティを出していくのは村上春樹クラスでないと難しいと思うので、もう素材で勝負するしかない。ひとがあまり食べないものを調達してきてどうにか食べられる状態とするのだ。ほら、つくしだって甘辛く煮てしまえば食べられたでしょう。あのノリでね。

とはいえ、素材は使えばなくなる。日々のストックというのはできるだけしているつもりだけど、アウトプットを続ければそのリソースは尽きる。メモをとるなどして「これはいけるかも」とネタ帳のように書き溜めているのだけど、「なんでこれいけると思った?」というようなメモも少なくない。食材で言ったら「食えるわけねえでしょ」レベルのメモなのだ。火を通したらいけっかなじゃねえ。それ食ったら死ぬぞ。

結局ほぼ毎日その日の素材でブログを書いているかもしれない。”その日思ったこと”を書くことだって立派な日記なのだからそれで良いとは思っているけれども。

ただね、結局のところどれほど「おいしくできました!」と思ったところで食べてもらえれなければそれは何もできなかったのと一緒なわけで。そして「おいしい」って言ってもらえれば次へのモチベーションに繋がるわけなんですな。

それはまあ有名人でもインフルエンサーでもなんでもない僕のたわごとにも近い当ブログが爆発的に拡散するようなことはないし、むしろ会社バレとかしたら面倒なのでそれはなくてよいのだけど、”好きなひとは好き”くらいの出がらしのお茶(2回目)的ポジションでやっていこうかと思いますのでここはひとつよろしくお願いします。

今日のお昼ご飯。素材の強さでなんとか乗り切るウインナー(シャウエッセン)定食