普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

人生一度きりとはいいますけれども

人生一度きり。当たり前である。一度きり、不可逆であるため何かと頑張る。

でも何度も人生をやり直せることができたらどうだろう。やり直せるというか、生まれ変わることができるというニュアンスかもしれない。おそらく相当雑に生きることになるような気がする。大切な判断が必要になってくる瞬間、その判断を下すときでも「まあ…これで違ったら次は別の方選ぼう…」的な発想になってくるかもしれない。いや、少なくとも僕はなるのではないかと思う。

こういう迂闊かつ雑な判断だけであればまだ本人だけの問題ではあるが、世間全体で何度も生まれ変わることができるということになったら人生を途中で放棄するひともあらわれるかもしれない。まさにリセット。一回死んじゃう?みたいな軽いノリでそのときの人生をやめてしまうのだ。

そうなると易々とお死にでないよとお上が動き、人生やり直し禁止法など、法整備されていくことは充分にあり得るだろう。規制が生まれれば必ず反発する者があらわれるもの。「死ぬ自由」とかいってデモが行われたりするのかもしれない。

と、まあ何をわけのわからんことをお思いかもしれない。それというのも通勤経路にこんな張り紙を見たからである。

感じる強い意志

おお…言い切っている割には期間とかはわりと曖昧。夏中休むとは言っていないもののこれは8月中は休むつもりだぞ。僕はこんなことを言える人生でありたいのだ。しかし僕の人生は残念ながら熱波が来ても日常生活を維持しなければならない。このようなハメハメハ大王のうたみたいな生活できない。熱波が来たら仕事せず、雨が降ったら休みてえ。

でも、人生何度も繰り返しても性格が一緒なら結局似通った人生になってしまうものなのかもしれない。このように豪胆な判断は僕にはできないような気がする。だってドラクエ5、何度プレイしてもビアンカと結婚してしまうのだもの。あの状況でフローラ選べるか?ゲームのただの2択ですらこのざまなのでましてや人生本番たるやである。

それにしてもこの「人生一度きり」というフレーズ、人生も折り返しを過ぎたような人間からのほうが多く聞かれると思う。それは中高年の言い訳として使われていることを散見するからだろう。後悔のない人生を送りたい≒少しくらいハメ外したっていいじゃないの意味合いで使われているように思うのだ。なので中高年で「人生一度きり」と言い出したら要注意である。何か良くないことの起きる前触れかもしれない。

こうして「人生一度きり」についてあれやこれやと言い出している僕もすっかり中年だ。前述した言い訳おじさんたちとそう変わり無くなってしまっているのだな。

こういうと自分の人生どこかしら納得いっていないようでハメを外したいと思っていると見られてしまいそうだが、こう見えて僕はこれまでの人生はこれでよかったなと思っている。病気のことに関しても面倒は多いけれども大変なのは周りのひと達で僕自身はそんなにネガティブな感情を抱いていない。まあこうなったらこうなった過ごし方というものがあるものである。そのくらいの気持ち。これは子供のころから病気だったからかもしれないが。

やっぱりやり直せる人生よりも一度きりの人生のほうがいいな。