普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

食用ラクダというものがいるのかは知らない

週末久しぶりに飲みに出かけた。どうしても焼肉屋に行きたかったのだ。

コロナの話も依然不安材料は残されたままではあるけれど、特効薬が開発されるまで状況は変わらないわけなので、それまでの間ずっと引きこもっているというのもあまりに非生産的ではないかということである。

なんとなくしゃくにさわる話ではあるけれど、「新しい生活様式」というものを自分で考えていかなければいけない。この言葉使いたくないですけれどもね。でも事実そうしていかないとかなりの長期間何もできないということになる。自衛をしながら攻めるというヒットアンドアウェイへ行動指針をシフトさせていくのだ。

 

若干の言い訳くささを自分でも感じつつも結局のところ焼肉食べたいという欲に負けた事実に変わりはない。行くならばと張り切ってとお店選びは前々から気になってはいたけど行けてなかったお店とした。

そのお店、珍肉を出すお店なのだ。事前に調べたメニューによるとワニ、ラクダ、ダチョウ。店内ではカンガルーも確認された。

焼肉食いたいっていってんのにそのラインナップってもうべつに焼肉っていう意識でもないだろうと思わないでもないけれど、焼肉に行きたい気持ちと珍肉が食べたい気持ちが見事にマリアージュし、飲みに出かけたいという気持ちに拍車をかけたのは間違いない。

いつもの飲み仲間に声をかけ、店へ向かう途中、どの肉をオーダーするかの作戦会議が行われた。それというのも一皿が結構しっかりしたお値段するのだ。3,000円〜4,000円くらいである。乱発できるほどこちらの残弾数に余裕はない。かつ、酒飲みのおっさんふたり。胃に収められる量にも限度がある。というかむしろキャパは心許ないとすら言える。

話し合いの結果、ワニはまず美味いであろう。しかし面白味にかける。そのうえ600g提供されるらしい。ふたりでは太刀打ちできない。却下。

ダチョウは言っても鳥だろう。鳥という範疇から抜け出せるとも思えない。却下。

残るはラクダだ。一番ネタ感がありつつもやはりそこは偶蹄目、一定の成果は出してくるのではと踏んでラクダをオーダー。

酒を飲みつつ未知の肉を待った。そして出てきたのがこちら。

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おー、うまそうなのでは。と早速焼き始め、焼き加減なども確かめつつ、ふたり未知のラクダを口へ運ぶ。

 

これは…!!

 

硬え…!!

 

というかスジがすごい。今まで食べたどんなものよりもスジがすごかった。鱧の骨切りくらいのことやってもまだ不十分じゃないかというほどに肉一切れの中にスジが張り巡らされている。味どうこうよりもスジだ。噛み切ることさえ不可能。

提供された一枚サイズではどんなに飲み込みにくいホルモンよりも飲み込むことが困難であることは明らかであったので、肉を切る用のハサミをオーダーした。その速さといったら時間軸がずれるほど早かったと思う。

一通りスジに打ちのめされ、スジの気持ちも受け止めてきれるかもしれないという状況になってきたころ、やっと味について意識が向くようになる。

決してまずいものではない。臭みもそんなにあるとも思えない。しかし聞いて欲しい。僕は卓上調味料というものはほとんど使わず、お店から提供された味、素材の味を楽しむタイプだ。

ただ、本件については卓上調味料のありとあらゆる可能性を模索した。そういうことなのだ。

 

200gのラクダ肉をふたりで、要はひとり100gずつくらいしか食べていないのに、今年に入ってから一番食事で咀嚼したといえる。咀嚼の回数が多いと満腹中枢が刺激され腹がふくれたような気分になるというがまさにそうであった。なんならちょっと疲れていた。

 

端的にいうと久々の大敗であった。

しかし良い経験になったのは間違い無いし、他の調理法で食べてみたいとも思えた。

 

牛、豚、鳥のマジョリティーというのは伊達では無い。歴史が作り上げた民意なのだ。ありがてえ。

 

しかしここで退くわけにはいかないのである。四つ足のものだったら机だってベッドだって東屋だって食べていくような気持ちで挑んでいく!こともある時期が訪れるひとには訪れる。

 

しかし今回の件、あとで行きつけの飲み屋のマスターに聞いたところ、ダチョウが鳥なのに仔牛っぽくて不思議な感じだということらしい。

無知がリスクに直結してしまった。

次はダチョウだな。