普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

全方位にたいへん

人工透析を中止して、その後亡くなってしまったひとがいるというニュースを見た。

自分の周りにはいないけど、透析患者の死因の統計を見たときに「透析拒否」という項目があったので、多くはないにしてもまったくない話ではないのだろう。

ではなぜニュースとして記事が書かれていたか。

言い方は悪いけれどもドラマ性を感じたからなのだろうと考える。

 

記事によるとその透析患者は40代既婚。透析患者としては若い方だ。うつ病を患っており、日頃から透析を苦痛に感じていたのだという。

もしかしたら透析が原因でうつになったのかもしれない。

透析を中止すると決めたのはシャントがつぶれたから。元々シャントがつぶれてしまったら透析を中止するつもりであったとのことだ。

実際そうなって、医師と相談し、意思確認書にサインし、夫もそれに応諾したという。

透析中止後数日でやはり透析を再開しようとしたところ、胃に穴があき外科手術が必要になり、麻酔から覚める前に亡くなってしまった。

 

死の数時間前に夫に助けを求めるようなメッセージを送っていたのではないかという画像がアップされていた。

それがいわゆる普通と異なる点で、ニュースとしてとりあげられる部分であったのではないか。

それはまあ死にたくなくて透析を再開するという気持ちになっていたのだから、死にそうになったら心細いし、恐怖を感じるのは当然だろう。

 

それで結局亡くなってしまったのは医師にも責任がある、というよりも医師の責任が大きいというような論調を見かけたのだけど、個人的にはそうは思わない。

 

これで、透析やめます、はいどうぞ。だったら確かに医師に問題がありすぎる話なのだけど、常識的に考えてそんなわけがないのだ。

絶対に止めるだろう。それもかなり強堅に。

医師だって自殺幇助みたいなことしたくないはずだ。

それでもねばられて、透析中止を許諾して、結果責められてしまっている。理不尽な話だと思う。

ある意味医師の優しさという可能性もあったのに。

 

状況だけを考えれば医師のほうが大変なめにあっているのだけど、患者の残した最後のメッセージがあることで患者が被害者のように伝えられているように思う。

 

とはいっても自分も透析患者なので、亡くなった女性の気持ちが少しもわからないわけではない。

透析による束縛になんだか疲れてしまうこともある。

それでも透析中止して死んでしまうくらいならやっぱりやるしかないなという気持ちになる。

そんなものだと思っている。

 

そもそも、個人的な意見としてなのだけど、透析治療という言葉に引っ掛かりを感じている。

治療というのは病気を快方に導く行為だと解釈しているのだけど、透析は水が入ってきてしまって沈みそうな船から水を一生懸命捨てているような、現状維持で、大げさに言えば延命措置だと思っているのだ。

それでも船はいつか沈むだろう。

そう考えると本当に延命措置だ。

 

だが、今すぐ死を選ぶということは僕にはできない。まだ人生やりのこしたことはある。

 

透析中止した女性は心を病んでしまっていたというからそこまで考えをまわせなかったのはあるかもしれない。

 

でもその後の周りへの影響などを考えると選択肢は出来る限り広げられたらよかったのだろう。周りのひとたちのサポートもありきで。

 

長々と書いてはみたけれど。結局なにかというと亡くなった女性をかわいそうって思うくらなら腎臓ひとつ移植あげたらよかったよね、とかそういう話になってくるわけだ。

大半のひとはそこまでする義理ない、とかなにいってんの?くらいだろうけど。

 

哀れみもエンターテイメントになってしまっているというのはいかがなものかなといったお話でした。