普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

日を記してない

意外ときちんと続けられている当ブログ。

もっとこう、日記的なもの書き綴っていきたいと思ってはじめたのけど、日常があまりに平坦すぎて日記よりはただ思ったこととか記憶の整理みたいなものになってしまっている。

平坦な日常が送れるというのは幸せなことではあるので結構なことではあるのだけれど、やっぱり日々記憶に残るようななにかがあるほうが理想だ。

 

以前、バンドを中心にした生活を送っていたときに比べて、かなり生活は安定するようになった。

それはバンドへの出費がなくなったことや、会社員になったことで安定した額を定期的に得られるようになったことが大きい。

暮らし向きは明らかによくなっているのだけど、物足りなさを感じるのはなぜかと考えてみたことがある。

それはたぶん、将来のビジョンなのではないかという結論にたどりついた。

以前は日々先が見えないすぐ先のことしか考えられないような生活をしていたのだけど、今はある程度このままの生活を続けていくのだろうなというビジョンが見える。

そうは言っても透析はしてたりで普通のひとより相当リスキーなのは間違いないのだけど、それでもやっぱり以前よりは安定感がある。

でもそれが物足りなさにつながつているのだ。

言ってしまえば少しくらい先が見えない方がなんだか日々楽しいと感じるということだ。

これが自分なりに出した結論だった。

 

そんな結論をある日妻に伝えたことがある。

リアクションは「へー」くらいテンションであった。興味がないとか、なにをバカなことをみたいなことでなく、ああ、そうなのといったニュアンスで。

さすがだ。さすが僕の妻でいるひとだ。

たぶん、本当に先の見えにくい暮らしになったとしても妻は一緒にいてくれるように思う。それに甘えずにしっかりした人間になっていけるのがベストだな。

 

実際、透析をしている身で以前のような生活をするのは現実的ではないし、以前のように楽しめないような気もする。

そういった部分はなにかしら自分にも心境の変化というのはあったのかもしれない。

 

自分で今できることの中から刺激を見出だしていくのだ。脱法ドラッグ的なものとして。

 

ちなみに、今日の日記をきちんと書くなら

朝、二日酔いで起床。いつも通り出社。

適当に仕事をしながら昼を迎え昼食。セブンのカルボナーラを食べて色々な意味で後悔。

午後も適宜仕事をしていたら退社時間。

透析にいたる

 

たったこれたけだ。

これがほぼ毎日なのだから日記としてはなかなかキツい。でもこの中からなにかしらトピックを見つけられるのがテクニシャンなのだろうか。やはり脱法ドラッグ的なことで。

 

僕も功夫をつんでその域になれるようがんばります。