普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

ダメなもんはダメ

日々生活していると、人間関係の中で得意なひと、不得意なひとというものがでてくる。

いい加減年齢も重ねたので不得意なひとと絡まなければいけないような状況は避けるようにしてはいるが、どうしてもそうもいかないときがある。

 

それは例えば仕事の直属の上司であったり、透析のクリニックの看護師さんであったりする。

前者はまだできるだけ関わらないという仕事の仕方も出来るけど、上司なので100%は無理だ。

後者に関しては苦手だといってもお世話になっているのは間違いないし、透析に行かないという選択肢はないのでやはり避けられない。

クリニックを変えるという事も考えられなくはないけれど、結構な面倒さがあるので現状維持。

秤にかけて現状維持をとるということはまだよいかと思う事にする。

本当に合わないと感じてクリニックを変えたという人もいるというのを透析患者のブログで見たことがあったので。

 

自分が合わないなあ、苦手だなあと感じるひとの方向性として、なんだか説教臭いひとというのがある。

そういうひとというのは単純に疑問に思ってこちらが質問したことに対してなぜかはわからないけど説教で返してくる。

例えば、他の透析患者の体重の増えというのはどれくらいなのかと尋ねる。

そうすると他のひとの体重の増えがどうとかより、僕の体重の増えに言及してくる。

たまたま少しいつもより体重が増えてしまったかなという日だったのだけど、それが恒常的であるかのような決めつけでもって説教してくるのだ。

こちらが会話したかったのはそういう内容ではない。

などと書いていて思ったが、決めつけで物を言われるのも結構苦手だ。

そして決めつけで言われているなと感じるので、それはそうではないと指摘しても大抵苦手なタイプのひとは意見を曲げてくれない。

自分のなかで「そう」だと決まってしまっているから。

しかも語気が荒くなるのでそれも苦手だ。

 

完全に愚痴を垂れ流してしまっている。

苦手を通り越してちょっと嫌いなんじゃないかなと思い始めてきた。

ただ、散々こんな人は苦手だ、といってはいるけれど、同族嫌悪というものもあるので、自分の嫌な部分を見ているようでその人とは関わりたくないと感じている可能性もある。

 

自分だって決めつけで人を見ているからうえに書いているような勝手な事をいうわけだし。

 

ともあれ、合わない事には違いない。

大人としての適切な距離感で平和に透析ライフを送れるのが理想だ。

向こうもこちらの胸のうちを薄々気づいているようだし。