普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

雷もうなぎも夏の季語だそうです

今年はなんだか雷雨が多いような気がする。この時期なのだからいわゆるゲリラ豪雨というものに遭遇するのは不自然ではないと思うけど、雷を伴う豪雨は例年、ひと夏のうちに片手でおさまる回数だったように思う。それが今年の夏は2日に一回ペースくらいで訪れている。

と、言いつつも自分の感覚はいまいち信用できていない。なぜならばもう7月が終わりを迎えようとしているからだ。この間7月に突入し、「もう夏だな〜」なんてことを言っていたかと思えば終わってしまう7月。秒過ぎる。この感覚だと雷雨だって1週間に1度くらいの頻度で訪れているだけで例年通りだったりするんじゃないだろうかという可能性だって考えてもしまうというものだ。

あまりに自分が信用できないのでネットで調べてみたら過去5年の平均と比べるとやや多いくらいだそうで。やはり僕がぼんやりしているだけのようである。

それか、今年は雷に異様なまでの興味を示しているという線もある。実際、家の中からすぐおさまるであろう雷雨を眺めるのはけっこう好きで、エンタメ感を感じているくらいだ。そういうこというと怒られそうだから”風情”くらいにしとこうかな。季節モノとして。誰に怯えているのかわからんけど。

季節モノといえばおとといくらいが土用の丑の日だったらしいのだけど、せっかくだからと今日のお昼はうなぎを食べた。松屋のうなぎを。結論からいえば満足したし、おいしかったのだけど、写真を撮ってみてふと思った。

なんかどことなく…

なんだろう、隙間のせいだろうか。どことなく侘しさを感じはしないだろうか。写真の撮り方の問題もあるとは思う。でもそれだけではなく、雑なご飯を食べている感じがあるように思えてしまったのだ。

実際、白米にうなぎを乗せただけのもので、うなぎの実力に頼りきった献立である。改めてうなぎの実力ってすごいのだなと感じざるを得ない。これが他のものであったら添え物が出動するところをうな丼である以上、うなぎが白米に鎮座しているだけで「それ」として成り立つ。

この場合白米だって丼ものとして重要なポジション、というか丼の概念そのものであるはずなのに、うなぎに全ての脚光を奪い去られている格好である。それはバンドで言えばイングウェイバンド、会社で言えばジャパネットたかた言える。本人が求められているのは当然だし、いないと成り立たないのだけど、だからと言ってひとりで成り立っているかと言われたらそうではない。

イングヴェイバンドにだってバンドのメンバーが必要だし、たかたには社長を支える社員がいる。それがうなぎにとってのお米ということである。うなぎはお米に感謝すべきなのだ。

ただ、まあ…イングヴェイを除いたメンバーがライブをやっても集客は見込めないし、たかたのいち社員が通販をやったところで売り上げは伸びない。そしてお米を丼に盛られただけの状態のものを差し出されても「おかず…」と悲しみに暮れることとなる。

けっきょく世の中需要と供給、バランスだ。うな坊よ、ベストパートナー(米)と出会えてよかったな!ということである。でも米氏は実は誰とでもうまく付き合えるからうな坊はそんなかのひとりであることをくれぐれも肝に銘じてな。

とね、うなぎにマウントとってみたりね。うなぎなんてふだん食べないものだからなんか言いたくなっちゃったけど、うな丼食べたらハッピーよねというお話でした。