普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

チラ裏メモから新しい目標が生まれることだってある

2日に1回くらいの頻度で記事を書いていると、ネタに詰まってくることがある。曲がりなりにも誰かに読んでほしいと思いながら更新しているわけなので、ほんの少しでも眉を動かしたり、口角が上がってくれたら良いなとは思っている次第だ。

しかし、四十路のおじさんの私生活はそんなにドラマティックなことが連続して起こるわけもない。そういったこともあるので、せめてものネタの引き出しにとブログネタをメモしている。メモからブログをが書かれることはほぼないのでただの独り言が累積しているような状態ではあるが、その中でも昨日のメモはひどかった。

「明日はチキン南蛮を食べよう。」

おいおい、おまえさん、ネタじゃないだろ、これ。これをネタだと思っているとはどういう了見だ。このメモは昨日の僕が書いたもので、酔っ払いながらメモったのでおそらくそのときはけっこう気分が昂揚していて、その胸の昂りをみなさまにお伝えしたいと思ったのだと思われる。だとしてもひどい。

ま、食べたんですけど。

安定のオリジン。タルタルが増えた気がする。

そしてわりとはしゃぎ気味に食べた。前日からお昼ご飯で食べたいものが決まっていると穏やかな気持ちで仕事ができて、なおかつ機嫌良く過ごすことができるという低コストな自分の機嫌の取り方を心得ている点については数少ない特技といえるかもしれない。

なんだかんだといって「明日チキン南蛮食べよう」のメモでここまで書いてしまった。本当にしょうもないメモでありながらもその瞬間の心の機微をあらわしていたといえばまあそうなのかもしれないし、このメモは続けていってみようと思う。

このほか、しょうもなさ度で言うとその少し前にメモられていたカツ丼についての思いもこれまたやくたいもなかった。

カツ丼は揚げたてというとんかつ最大のアイデンティティをとじるという行為によって冒涜した食べ物なんじゃないかととんかつの立場を心配していた。この世で最も必要のない思いやりがそこに。ちなみにこのときも当然酔っている。

揚げたてを汁の中に沈めるなんて、造形物を完成させた瞬間にぶち壊し、その壊れ方で良し悪しを判定する前衛芸術のようですらある。壊すために作るという常人からしたら謎行為を経ての料理、それがカツ丼だ。

考えてもみればお店でカツ丼をオーダーできる状況にあって、カツ丼をオーダーしたことってないかもしれない。揚げたてのとんかつが食べられるなら揚げたてを食べてしまうのだ。揚げたてとんかつで調理されるカツ丼を経験しないままこの年齢まできてしまっているけど、もしかしてお弁当で売られているカツ丼と別ものだったりします?だとしたらこれは今後の人生で経験しておいた方が良いことリストに追加しておこう。揚げたてとんかつをスルーするという心の強さが問われることとなりそうだ。

どうでも良いメモから人生の新しい目標が生まれようとしている。”とりあえず言っておく”くらいの温度感のメモも意外に捨てたものでもないのかもしれない。

区画感のあるカツ丼