普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

飯ハメされているかのような様相

ふだんから始めて食べるものを写真に撮る習慣があるため、カメラロールには食べ物の写真が溢れている。

そんなカメラロールをつつーっと流し見していたところ、心に引っ掛かりをを感じる写真が。

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いわゆるマリトッツォなわけなのだけれども、

なんか※飯ハメを受けているようで哀れに見えてきませんか。

 

※飯ハメとは運動部の合宿夕食時に発生する先輩から後輩への米を過剰に摂取させる行為のことである。

 

開いたパンが口に見え、もう咀嚼すらできないほどに白米を詰め込まれてあとはもうばふばふと米を口から飛ばすことによって口内の米の量を調整していくことしかできない状態にまできてしまっている。先輩は大笑いでさらに米を詰め込むのだ。

マリトッツォはいじめの被害者だったのである。フォアグラを作る過程のガチョウと立場は一緒で、ガチョウも憐れみの対象となっているのだからマリトッツォだってもっとみんなに優しくされたってよい。

とにかくあんまり無理させなさんなよとマリトッツォ側に寄り添った男になろうと思う。

そもそも体育会系の飯ハメはコミュニケーションととらえられているのだろうから本人達にいじめの自覚は皆無なのだろうけれども。

あと、そういった上下関係がうまれているところにあまり属したことがない僕としてはずっと不思議だったのだけど、先輩に米を詰め込まれてフォアグラみたいなことになるようなことをされて精神を蝕みかねないほど辛い目にあった後輩がいざ先輩となったとき、新たにできた後輩の口に米を詰め込むというあれはなんなのだろうか。

自分がされて嫌だったのなら他人にはしないというのが自然な心理状態ではないのか。それとも、自分が受けた陵辱ともいえる行為を自分だけが受けたのは我慢ならん、味わわせることのできる立場となったことだしやってやろうじゃないのということだろうか。それかやられて結構よかったのでご褒美として後輩に受け継いだという線もあり得なくもない。

いずれにせよ、持つべきでない人間が権力をもつとろくなことにはならないということだけは言えるかもしれない。

 

マリトッツォから少し離れてしまったので話を戻すとマリトッツォって出オチみたいな食べ物で、まず見た目に対して突っ込んでしまう。しかし食べる頃にはその見た目にも慣れ、ふつうのスイーツとして食べてしまうのだ。

めちゃくちゃおもしろメイクして奇抜な格好をして登場した芸人が登場のインパクトだけあってその後はふつうに会話をするというようなことに似ている。それがマリトッツォだ。でもそのギャップがまたおもしろくてじわじわとおかしみを感じたりするので、なんだかんだとマリトッツォの術中にはまってしまっているのかもしれない。

マリトッツォが出オチ芸人だとするならば、すあまは老練の落語家っぽさがある。

最近すあまって見ないから今度すあま探しの旅に出ようと思います。