土用の丑の日とはなんなのだろうと調べてはみたものの、いまいち頭に入ってこない。ものすごく大雑把に言えば季節の変わり目の特定の期間ということなのだと思う。
行事食発生の日でもあり、土用の餅、卵だのしじみだのとあれこれあったが、オーソドックスにうなぎを食べておいた。
これなんですがね。
松屋のうなぎ。
専門店ということでもないし、クオリティってどうなのかなと思っていたのだけど、しっかりおいしくいただけた。こんなん全然ダメだよっていうひとも中にはいるだろうし、それは専門店のうなぎとは実際比べ物にはならないのだろうけど、ちゃんとうなぎだったし、おいしく食べられるものが多い方が人生得のような気がするので満足している。幸せな味覚を持ち合わせていてよかった。
土用の丑の日にうなぎを食べる風習の発端といえば平賀源内であるというのは(諸説はあれど)有名な話であるが、平賀源内そのものについてはあまり詳しくは知らなかった。
医者、学者、作家、発明家などとさまざまな肩書きをもつ平賀源内であるが、ウィキペディアを読む限り、実績もあるにはあるけど総合的にみたら「変わったおじさん」だったのだろうなと思う。近所にいたら絡みたくないタイプだ。
なんといっても死に際。酔っ払って仕事に関わる大事なものを盗まれたと勘違いして容疑者2人を殺傷。その後投獄されて破傷風で死亡したそうなのである。ひどい。
悲惨が積み重なって数え役満で凄惨といえる体たらくである。これもまた諸説あるという話ではあるけど、奇人の最後っぽいので僕はこの説を推そうと思う。
話は前後するが土用の丑の日のうなぎ食を広めたのが平賀源内であるというのが本当なのであれば、それなりの影響力はあったというのは間違いないだろう。広告屋っぽい感じかなと思ったけど、考えてもみれば今でいうインフルエンサーに他ならない。
「土用の丑の日にうなぎ食わないとか人生詰んでるっしょ」と煽りに煽って半ば炎上商法的にうなぎを広めたのかもしれない。
この時代にインスタとかあったら確実にうなぎの写真と煽り文句をアップするはずだ。対面には人影がありにおわせもばっちり。ちなみに平賀源内はゲイだったそうであるのでにおいのもとは男性であると予想される。
先ほど彼のことを「変わったおじさん」と形容したが、なんとなくイメージがまとまってくるとみうらじゅん的なひとでもおかしくないような気がしてきた。地頭の良さを全霊をかけて非生産的なことに注ぎ込んでいそうだ。みうらじゅんも平賀源内もきちんと実績はあるんだけれども。
今日のうなぎはおいしかったし満足しているのだけど、実は職場付近にうなぎ屋がオープンしていたのだ。
専門店だけあって「あー、いいもの食べてるなー」という幸福感に満たされた。
これを食べた上で松屋のうなぎもおいしく感じることができるというのはやっぱりちょっとお得な感性であるような気がするのだ。
大概のものをおいしいなあと食べられる大人になったが子供の頃はうなぎの蒲焼が好きではなく、白焼なら食べるといういやらしい金のかかり方のする子供だった。
要は蒲焼のたれの甘辛い感じが苦手で、それだけでなく基本的に甘辛は断固拒否し、塩気でうまみを引き出しているものしか認めない限界酒飲みのような味覚だったのである。あのままそだったら僕の人生にはみりんという調味料は存在しないことになっていただろうな。
うなぎは食べたけど「うのつく食べ物」をクリアしてないな。ウェンディーズは近所にないし…
「売れ残った惣菜」あたりで手打ちとします。