普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

病院に行くのが日常になりすぎて非日常性を見出す

子の肌の調子が芳しくなく、近所の皮膚科に行った。小さな個人病院で、医師はものすごく物腰が柔らかく善人そうな医師で安心感がある方だ。

その先生、インカムマイクをつけている。そして胸元には小型スピーカー。これまで何度か通っていたときもその機器の存在には気づいていたが特段気にはしていなかった。誰かに指示を出すときに使うのだろうなという認識でいたのだが、珍しく子がぐずり出して互いの会話が聞き取りづらい状況が生まれたとき、先生がインカムに向かって喋りはじめたのだ。

するとスピーカーから拡大された先生の声が発された。おお、こういうときに使うやつだったんだ。この病院は小児科もあるのでこどもが泣いてしまって会話に支障が出てしまうことへの対策だったわけだ。

なるほどとは思ったけど、よくよく考えてみれば声を張る気はないんだなと先生の頑なな人柄を垣間見た瞬間であった。長年お医者さんとの付き合いのある僕から言わせてもらえればこういうところ、大変にお医者さんっぽいなと思う。一筋縄の良いひとではないあたりがなんとも。

とはいえ、セカンドオピニオンを勧めてくれたりそのために紹介状書いてくれたりとやはり善人そうなのでこれからもお世話になるのだろうな。

たぶんあまり理解されないと思うのだけど、通院という行為が結構好きで、新しい病院に行くのもわりと楽しみにしてしまうタイプだ。もちろん行かないで済むのならそれが一番だし、あくまでものほほんと通える状態であることが前提ではあるのだけど。発熱していたりどこか痛かったりするときはさすがにその余裕はない。

これはおそらく、通院する日を非日常ととらえているからなのだろうと思う。その日は学校なり仕事なりを休んで病院に行き、せっかく出かけたのだからと外食をする。要はお出かけ気分ということである。我ながらのんきなものだなと思うが、結構幼い頃からちょこちょこ通院をしているとこのくらいの感じには仕上がるんじゃないかと思われる。出かけ先がデパートの代わりに総合病院になっただけだ。いろんなもの(病気)を取り扱っているという意味では大差ない。

こういう思いがあるから先日の健康診断も「よっしゃ、横浜行ったろ」などと思うわけである。ちなみに来年の健康診断は川崎に行こうと思う。転んでもただでは起きない。せっかく地面に近づいたのだから小銭くらいは発見したい。

これは自分のことだから言えることで、子のことになったらそれはやっぱり病院と深く関わらない人生が一番であるのは言うまでもない。それを思うと僕の親もさぞかし心を痛めたことだろうと思う。

ただ、結果オーライというか生きてるだけで丸儲けというか、色々と周りのひとが経験しないことを経験したことによって視座を養うことができたと思えるのでこれはこれでありだったなと結構本気で思っている。親にもそう伝えたことがあるけどいまいちピンときてなかったな。それはまあそうか。

こういうのって開き直りになるんだろうか。本人的にはそんなつもりはないのだけど。しかも僕自身ポジティブ人間かというとそうではないし。もし僕と同じような立場の方でこのブログをご覧になっている方がいればどう思ったりするのかぜひともお話聞いてみたいものである。

デパートのレストラン的なポジションの病院の食堂