普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

マックでいいじゃなくてマックがいいんです

由々しき事態である。

利用駅(高円寺)のマクドナルドが3月で閉店してからというもの、マクドナルドを食べていない。それまで僕は週に1度はマクドナルドを摂取していた。その僕がもう2ヶ月はあのジャンクを食べていない。

この間、モスバーガーバーガーキングは食べた。それぞれきちんとおいしい。喜んで食べていたのは間違いない。しかしそれはマクドナルドのジャンクさとは程遠いきちんとした食べ物だ。いわば優等生である。

きちんとお付き合いをするならそれらの立派なバーガーたちとのお付き合いをするべきなのだろうが、日々の戯れということになるならマクドナルドくらいに気軽な存在が望ましい。よお、マック!ってな具合に。

そもそも、僕の年齢(40過ぎ)でこれほどマックを食べているひとっているんだろうか。申し添えておくと、僕はマックを「食べたくて食べている」わけであって、「マックでいいや」ではなく、「マックが良い」という気持ちで食べている。この点についてはぜひともご理解いただきたい。

僕の感覚で言うと、一番最初にこどもだけでの外食をするのはマックである可能性が非常に高いのではないかと思っている。ファミレスやら牛丼屋などはこどもだけでいいくようなお店でもない。それに比べるとマックは圧倒的に敷居が低い。そしてお財布にも優しい。実際に僕ははじめて自分でお金を出して外食したのはマックだった。やはりそれは特別な出来事であったと言える。その当時の”特別感”を感じたくて今でもマックを食べてしまうのかもしれない。

とかちょっといい話風にしようかと思ったけど全然そんなことなかった。ただ単にあのジャンクを身体が求めているだけだ。身体が澱みを求めている。なんだろう、適度の身体の中を濁らせておかないとダメージを受けてしまう穢れた存在なのかもしれない。聖水とかぶっかけられたら身体溶けちゃうかもしれない。

マックが良いって言うわりにはこの記事の内容を総合的に見るとマックのことディスってるよねと思われるかもしれない。いや、そんなことないんですよ。でも明らかに身体にはよくないんだろうなとは思っているのでそれはそれ、これはこれかなと。愛ゆえにというやつで。こういう愛ゆえにいじっちゃうというのも現代の考え方からすると批判の対象となったりするんでしょうな。でもそうなると褒めか貶しに全振りしていないといけなくなってしまうと思うのだけど、その辺りどう評していくんだろう。昭和は遠くなりにけりだなあ…まあそういうのにあれこれ言うのってごく少数のめちゃくそに声デカのひとだったりするので実情と乖離はあると思われるけれども。

最終的に昭和感をアップデートできていないジャンクフード摂取おじさんの話になってしまった。もし高円寺駅開発関係者がこのブログを見ることがあれば高架下りリニューアルの際にはマックを熱望している人間がいるということを気に留めていただければ幸いです。

でもウエンディーズだともっと喜んじゃうという裏切りムーブも平気でかましてしまうのでそちらもひとつ何卒。バーガーキングも可です。🍔🍟

バーキンに抱かれながらマックを想う