普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

日本のインドの駅前フレンズ事情

高円寺駅前には広場がある。高円寺といえば日本のインドと言われる街だ。駅前広場にはさまざまにひとびとが集まり、治安が悪いとまでは言わないが上品であるとは言い難い。

しかし誰もが問題がありそうということでもなく、ピーキーな仕上がりになっているだけでキャッチーだとさえ思えるひとだっている。その中でも僕が密かに注目している人物が”幸せおばあ”そのひとである。呼び名は僕が勝手にそう呼んでいるだけだが、高円寺駅をよく利用するひとなら1度は見たことがあるのではないかと思う。

幸せおばあはとにかくいつも幸せそうだ。目を細め空を見つめ、口元に手をあて恍惚の表情を浮かべている。夏でも冬でも、暑くても寒くてもとにかくいつも同じ表情で幸せそうなのだ。

だがそんな幸せおばあが少しも幸せではなさそうな表情で彷徨っているのを見かけてしまったのだ。ド真顔で、なんならちょっと不機嫌そうな表情で駅前広場をうろついていた。「シ…シリアスおばあ…!」僕は衝撃を受けた。

その後も幸せとシリアスを行ったり来たりしていたおばあだが、ある日ひとつの真実に辿り着いた。おばあが恍惚の表情を浮かべているとき、必ず直射日光を浴びているのだ。空を見つめているのかと思ったら太陽の方向を向いていたのだ。そりゃ目も細める。思えばシリアスおばあであるときは日光の当たっていない、どことなくトーンの抑えられた景色、日陰の印象であった。この発見は嬉々として妻に報告し夫婦の共有事項とした。

幸せおばあの仕組みがわかった後は日の当たるおばあを見かけては「幸せにな」と思っていたが、このところ陽が傾くのが早くなり駅前広場が日陰となる時間が早くなってしまった。当然幸せおばあは広場にいない。こういうときおばあはどうしているのだろうなと広場最寄りのコンビニで買い物を済ませ店を出たところにおばあが。

なんと、駅前広場の日陰を避け、広場を飛び出しコンビニ前のわずかに日の当たる場所を探し出して恍惚の表情を浮かべていたのだ。おばあの幸せ追求への並々ならぬ意気込みを感じた次第である。おばあに幸あれ…!

おばあの他にもピーキーかつキャッチーな人物はいる。駅おじ(駅前おじさん)である。駅おじは複数おり日によって顔ぶれは異なる。でも生態はだいたい一緒だ。酒を飲み、独特の持論を展開する。そしてその持論がすべてきちんと聞き取れることは稀だ。駅おじたちは夏とにかく元気だった。気づけば広場で洗濯物干してたものな。たぶん家がない系のひとではないと思うのだけどマイペースであることは間違いないだろう。

駅おじたちは夜通し広場で飲んでいるのだと思われ、僕が朝に広場を通って出勤するときは夜の続きが終焉を迎える頃のようで謎理論により熱が入っていることが多い。たまに広場に転がっていたりするのももう見慣れた。

ここのところの気温の低下、駅おじたちも暖かいところにたむろするようになるのだろうなといつものように朝駅前広場を通ったら段ボールで暴風壁をこさえて頑張っていた。それを見た瞬間「駅おじの越冬」という言葉が頭をよぎった。風邪、ひかないようにな。

駅おじについてはこの間アド街で高円寺が紹介された際に触れられていたが、そんなに見かけない駅おじがちょっと絡みづらいくらいの感じで取り上げられていた。あんなもんじゃないんだぞ。たぶん深淵の駅おじもいたはずなのだけど、テレビクルーの手に余ったのだろう。なんだかその光景、目に浮かぶなあ…

そんな駅前フレンズたち。高円寺ってほんと、良い街です。