普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

才能という下地

ちょっと暴論めいたことをいうけれど、創作物は良いものが出来ればその過程など正直どうでもよいと思っている。苦労しようがしまいが、美談があろうが醜悪な裏話があろうが心を動かす作品を世に放つことができればそれが正義なのだ。

そう個人的には思っているのはたぶん自分が音楽に関わっていたのもあると思うし、よいものを生み出すことの出来るひとへのなんだかよくわからないコンプレックスのような気持ちもあるかもしれない。

なにをふがふがいっているのかといえば、槇原敬之覚醒剤で逮捕された件について思うところがあるからだ。いまさら。

槇原敬之の作る曲は素晴らしいと思う。メタルの沼に沈みきり、その奥深くで汚泥のような存在と化した僕の心にまでしっかりとその存在を刻み込んでくる。そんな素晴らしき彼も今回で3度目の逮捕。しかも全逮捕覚醒剤で。

ま、そういうこともあるよな。くらいの感想だったし、ドーピングだろうがなんだろうがよい曲つくれているんだから尊敬ですわ。と、逮捕自体はほぼスルーだったのだけど、そうもいかないひとというのもまたいるのだと知る。

覚醒剤を使用していたひとの曲など聴きたくないとのたまうひとや、ショックです…とかいって自分の中で勝手に作り上げていたイメージからはずれたことを責めたりするひと、もう音源買いませんとなるひと。なんだかそんなひともいるようなのだ。

そういうひとたちって世界に一つだけの花がガンぎまりの状態で作られた曲と知ったらどんなリアクションするんだろう。いや、実際がそうかは知らないけれども、バカ売れしていつまでも歌い継ぎたい名曲みたいなポジションにまで上り詰めたあの曲。ベタ褒めしていたであろうあの曲が、ガンぎまりのぶりんぶりんでよだれ垂らして作られた曲だと知ったら手のひら返して曲の批判などをはじめるのだろうか。

いやでもそんな状態であの曲ができていたら僕も衝撃をうけるな。非難の気持ちじゃなく単純に怖い。畏怖の念が芽生える。ぶっとんでる状態であの曲だもの。得もいわれぬ恐怖を感じそうだ。

それでも槇原敬之はまだクリーンなイメージをもつひとがいることは納得できるし、だからこそショックをうけるだのなんだか嫌悪感を抱いてしまうひとがいるのはまだわかる。

でもピエール瀧とかどうなのよ。彼なんか完全に最初から天才かつ狂人なのに、どこにショックをうける要素があったのかが不思議だ。最近俳優とかそのあたりでちょっとまともなひとみたいな空気をだしていたからだろうか。それでまた音源販売自粛とかもしてしまったわけだから、ちょっと理解に苦しんだ。ああいう系ってそういう世界じゃないの。他ジャンルの僕にだって話がまわってくるくらいだから世間の常識なんじゃないかなくらいに思ってた。

当然知り合いとかではないので実際にピエール瀧がどんな人物なのかは憶測の域をでないけれど、ピエール瀧のことを良いひとだと信じて疑わないようなひと特殊詐欺とかに気をつけてください。

 

そんなピエール瀧のおすすめ曲は「ピエール瀧の体操42歳」です。各自検索してみてね。

個人的には世界にひとつだけの花みたいな曲を作れるよりこんな発想できることに憧れを感じるのだ。