普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

遺伝子に手彫りで趣味嗜好を刻む

人間、性癖のひとつやふたつあるものだろうと思う。それが世間に受け入れられやすいものであろうと倫理的にに許されないものであろうとも。

本人も好きでそうなったわけでもないのだろうし、倫理的に許されないような嗜好のひとの場合は自分を押し殺し過ごしていることだろう。というかそうであって欲しいところである。基本的に気づいたら「そう」なのだ。

いきなり性癖とか言い出したけれども自分の性癖語りをしたいとかそういったことではなく、同じように好みというものはいつの間にか自分の中で形成されるものだとふと思ったのだ。

音楽が好きで音楽活動をしていたわけだけれど、掘り下げて聞いているうちに自分のツボみたいなものは把握してくる。僕の場合、オートチューンとコードのadd9thは無条件に食いついてしまう。ふたつとも流行った時代があったわけで、その分今となっては曲によって時代を感じるようなものも少なくない。ちなみにオートチューンでいえばPerfume、9thで言えば90年代のV系、00年代中盤あたりで盛り上がっていたエモシーンで多用されていたイメージだ。でも僕は時代問わず、新譜だろうが今まで知らなかった旧譜であろうが上記のふたつが組み合わさっていたりすると嬉ションする。いやしない。でも小躍りはする。心の中でな。

それがオートチューンであったり、9thというコードであると認識する前からずっと好きだったのだなとそれらを理解してから気づき、これはもう遺伝子に刻み込まれているレベル、もはや性癖と変わらないのではと思った次第だ。

性癖を押さえ込むことはできても変えることは難しいだろう。僕のオートチューン9th好きももはや変えることは難しいのだ。リクルートスーツのタイトスカートに頭を突っ込んで窮屈な思いをしたいとのたまうのと何が違うというのか。これに関しては全然良さはわからないけど本人が良いというのなら良いのだろう。興奮…するのかな…

もっと大雑把にいってしまえば「なんか好き」と思えるものというのは自分の中でまだ気づいてないだけで大きな存在になっていくのかもしれない。時には指針とすらなることもあるだろう。

ここまでつらつらと書き綴って思ったのが、9thの曲はしつこいくらいに作ったけれど、というかむしろそれしか作ってないんじゃないくらいなのどけど、オートチューンを使った曲というのはまだ作曲経験がない。おいしいとこ取りが信条の僕としてはぜひこのさきそういった曲を作る必要があるのでは。

このままではタイトスカートに潜り込んでいるのに窮屈ではないという中途半端な状況となってしまう。それでいいじゃん、と思うけど、ふたつがそろって完璧なシチュエーション。タイトスカートの中は狭く窮屈でなければならない。な?そうなんだよな?

でも世代というのもあるのだろうか。タイトスカートの方じゃなく、オートチューンと9th。それと同じように性癖も世代で好みが偏りやすいものなどあるのかもしれない。そうなると生まれ持った環境や本人の素養に加え、時代の流行もやはりあるのかもな。

 

エロの世界で言うと9th、オートチューンってふとん圧縮袋モノみたいなイメージあるんですが、どうですか。

ないですか。そうですか。