普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

選択肢の多さが自由な働きかたへつながる

「フリーにはたらく」すなわち自由にはたらくという言葉だけを聞くと、まずは独立してフリーランスで働くというようなことを思い浮かべる。実際、ワークスタイルとしては会社勤めよりも自由の効く部分というのは多いのだろうと思う。

僕はいま会社勤めをしていて、フリーランスとして働くことに憧れの念を抱くことも少なくはないのだけど、そのたびに思う。

向いていなそうだな、と。

フリーでやるということはある意味何もかもが自分の裁量ということになる。それを自由ととらえることは出来るが、そこが問題となってくる。経理、庶務、営業などをすべてこなすって考えられます?ステータス振り分けどうなってんだ。

RPGで戦士、僧侶、魔法使いのパーティがいたとして、それぞれのジョブがそれぞれの得意分野を互いに補い合って乗り切っていけばよいというのを会社での勤務と考えると、その全てを自分でうまくこなさなければいけないのがフリーランスだ。全方向にバランスよくパラメータがのびてる勇者じゃないと無理。

そんなひとそうそういないでしょう。でも世の中フリーランスのひとがそこそこいて、どう見ても戦士でしかないひとがフリーランスとして生計を立てていたりする。それはどういうことなのか。

答えは簡単だ。「がんばる」のだ。ドラクエでいえばメラもホイミも使えないごりごりの戦士でありながらも、火を焚き、薬草をすり込むなどしてなんとしてでもそのタスクをこなすということである。やっちゃうだけやっちゃえばいいんです。その瞬間だけをなんとか乗り切る。

でも僕はその「がんばる」ということに対してからっきしなので向いてないのだろうなと思うわけである。そういうある意味でのハートの強さとか喉元過ぎれば熱さを忘れがちなマインドとかを持ち合わせているのもフリーランスに向いている条件なのではないかと推察している。それもまた生きていく強さだ。

野生で生きていくには食糧だって自分で調達しなければならない。それがフリーランスにとっての仕事にあたるのだろう。それに比べて会社勤めは仕事が用意されていることがほとんどだ。これはもう状況で言ったら上げ膳据え膳であるわけで、これに慣れてしまったらなかなか自分で食糧(仕事)をハントするというのはハードルが高い。自由であるということはその分の自己責任が発生するのだ。ごはん(仕事)ひとつとっても毎食かならず食べられるようにするのもなかなかにして苦労しそうだ。

フリーランスとして自由な働きかたをするには向き不向き、素養などが必要になってくるわけだが、そういったものを持ち合わせてない僕だって自由に働きたい。わがままだと言われてもよい。とにかく言うのはタダだ。

そうするにはどうしたらよいかと言えば、会社員として首輪がついているなりにそのなかでのびのびやればよいのである。室内飼いの犬だってわりと悠々自適な生活をしていると考えることだってできるではないか。外に出たければ散歩させてもらえればよい。安全で食いっぱぐれることもなく適温で暮らせるなんてなんと優雅なことか。

そのためには社内でそのポジションを作り出す必要がある。やることはきっちりやって、ひとには機嫌良く接し、専門性の高い仕事に関してはきちんとお願いしてやってもらう。

するとどうだろう、いつでも休みがとれる程度には仕事に余裕ができ、プライベートに時間を割くこともできる。仕事の内容に自由はないが、プライベートに割ける時間が増えることで過ごし方の選択肢が増える。

これが僕の、フリーランスではない、会社員としての自由な働き方かもしれない。

もちろんテレワークできることは大前提だ。テレワークでは仕事が不可能である業種はともかく、やたらとテレワークに否定的なひとは新たな働きかたの波に乗れていないのでそのままじゃ波に飲まれて溺れちゃうんじゃないか。イカダでもボートでもこさえてなんとか波に乗っていただきたいところ。そして僕らにテレワークの恩恵を享受させておくれよ。

まあ、テレワークを選択しないというのもまた自由な働きかたのひとつではあるのかもしれないので、少し前のエントリーにも書いたように選択制にすればよいとは変わらず思っている。

そういうことから考えるに、働きかたに選択肢が多いというのが結局のところ「フリーなはたらきかた」なのかもしれない。

すぐには無理かもしれないけど、近い将来そんな日が訪れて欲しいな。