普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

歩む先におじさん構文と昭和軽薄体の分岐ルート

仮免取得まで修了し、勝手になんだかひと段落ついてしまってしばらく教習所に行くのをサボってしまっていたが、先週末から本格的に再度通い始めた。安くはない入所費用を払っているのだからきちんと行かなければ。

とは思いつつ、なんだか通うことに結構な心の負担を感じている自分がいる。現地まで行ってしまえば淡々と教習をこなし、何と言うこともないのだけど、行くまでが憂鬱なのだ。

この感じ、味わったことがあるなと心の履歴を探ってみたところ、一致するものがあった。

高校時代の通学に対する気持ちだ。あの頃の気持ちととてもよく似ている。学校に到着さえしてしまえば適当に過ごしてあっという間に放課後なのだけど、行っても別におもしろいこともないので行くのがひどく面倒くさい。そのような心境をこの歳になってふたたび味わっている。

そうはいってもあと数ヶ月。学生時代のように年単位ではないので我慢してさっさと免許をとってしまえばこちらのものだ。

 

そんなこんなで免許を取ったら、という話を昨日ひさびさに出社した際に会社の先輩と話した。ラーメン屋に入ったらたまたま遭遇したので同席することとなったのだ。

都内の運転と郊外の運転は別物。心構えがまったく異なると言っていた。十数年運転している先輩が言っているのだからリアルな意見だ。

特に首都高なんかもうほんとやだという話である。僕も過去、友人が運転する車の助手席に乗っていながら「こりゃ無理だ」と思った記憶がある。高速道路を名乗っていながら異質な存在であるのは運転経験のない者からでも明らかであった。なんなんだ、あのけしからん分岐は。

あれこれと免許、車の話をしながらラーメンを食べ進め店を後にした。

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ちなみにこのラーメン屋にはたまに行っていて、昨日の昼食のお店選びの際に少し前に行ったけど今日も行ってしまおうかなと前回の撮った写真を見たら7月で戦慄した。少し前という感覚が2ヶ月以上前であることに。自分の時間の経過の感覚が以前のそれとは明らかに異なってきている。

これが老化…なのか。いいかげんおじさん構文の使い手にでもなっていかねばならない時期なのかもしれない。でもあれはあれで独特のセンスと思考回路を持っていないと表面上は真似できても習得は難しそうだ。

それならまだ最近話題になった(というか炎上した)ラーメン評論家の昭和軽薄体といわれる文章の方がしっくりきそうだ。槍玉にあげられていたブログは文体というよりは内容の方に問題があったのだろうけれども。

ライターの方が何歳の方か知らないが、あの文章はそのままおじさん構文に変換できてしまいそうな内容だったように思う。

ただ、バカにしきれないところというのもあって、なぜなら僕らくらいの世代のインターネット黎明期のテキストサイトなどに触れている人間はあの手の文体に多かれ少なかれ影響を受けていると思うのだ。例に挙げられていたのがmixi日記で、たしかにあの頃の僕の日記も例のブログほどではないにしろ、JR成田駅京成成田駅くらいの距離感で近いものはあったかもしれない。今さらされたら恥ずかしさのあまり戸籍を売り払って別の人間として生きていく。

ふだんこうしてわりと定期的にブログをしたたている立場としては、気になる話題であった。僕の文章も「あー、おじさんのにおいしてきそう」とか思われてるのかもしれないものな。

免許とか車の話をするつもりが自分の加齢とこれからのありかたについて考えることになってしまった。

ラーメンとは業の深い食べ物なんですな。

もう今日は全然悪くもないラーメンのせいにして逃げます💨