普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

100万円で無邪気に喜ぶかどうかというところに一線ある

今週のお題「100万円あったら」

このお題を見て、自分にとっての100万円とはどうなのだろうと思い、向き合ってみることにした。

ポンともらえたらそれは嬉しい。そして自分の懐から何かのためにすんなり使える額かといえばそんな富豪のようなことはできない。

しかしながらこの100万という数字、なんとも中途半端なものに感じるようになってきた。これが大人になるということなのかもしれない。

それというのも高額な買い物をするには心許ない数字であるし、ちょっとした生活雑貨にあてるにはもて余す額である。

本当の願望を語るなら億だ。億からなのだよ。1億積んでもらおう。話はそれからだ。

どの目線から語っているのかという話なのでいったん謝っておきましょう。庶民がイキって申し訳ねえ。

ふって沸いた100万円で何をするかというのを真面目に考えてみたところ、旅行なのではないかなという自分からしてみても意外性のない答えに落ち着いた。

ただ、普通に旅行するというと一泊、二泊して観光名所を巡って、楽しいには楽しいんだけどなんだか結局疲れて帰ってきてしまうというのが常ではある。

そこに投入される100万円だ。やっこさんの働きで従来のタスクをこなすだけの旅行ではなく、連泊、長逗留が可能になるのではないか。

旅館に連泊して特に外出することもなく、客室の縁側みたいなスペースで天ぷらでも揚げながら酒を飲むのだ。最高に贅沢な時間だとおもう。部屋で揚げ物とか許されなそうだけど。

要は旅館に泊まったからあれしなきゃ、これしなきゃではなく、贅沢な時間を過ごすということである。旅館に連泊など文豪にしかゆるされない所業である。文豪でもなんでもない人間がそこに踏み込むのだ。ある意味でタブーを犯すという背徳感を味わえる。

こうなってくると旅館に連泊することは、贅沢な時間を過ごすための手段であり、100万円の使い道を正しく表現するなら「充実した贅沢な時間に支払う費用」ということになるのかもしれない。

とはいってもですなあ、一泊5万円程度の料金のお部屋に妻と泊まったとすると、1週間程度しか滞在できないということになってしまうのだな。そう考えるとと100万円氏の立場というものについて改めて考えざるを得ない。

リッチ→△

庶民的→×

上記から鑑みるに、100万円とは木曽路(飲食店)だ。

いつでもいけるほど安価でもない。しかし贅沢しにいきました!と、胸を張っていえるほどでもない。でもやっぱり非日常を味わった感じはある。ファミレス以上、料亭未満の木曽路がふさわしい。

木曽路の関係者に怒られそうなんでもう一回くらい謝っときましょうか。木曽路のことふわふわしたポジションとかいって申し訳ねえ。

結局、お金ってことではなく、大事なのは有限である人生の時間というものをいかに濃密に有意義に過ごせるかということなのだ。綺麗事に聞こえそうだけど物事の本質というのはこのあたりにあると思う。

なので、100万円とかいってないで1億円をね、僕の口座に振り込んでくれる旦那、おりませんかね。

100万円を使って諸国を漫遊し、億単位のパトロンに出会う資金とするというのもよいかもしれない。

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こんなんがあるようなひなびた温泉街で良い意味で無為な時間というものを優雅に過ごしてみたい。