普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

今さらお酒と向きあうおじさん

GWも最終日。教習所に通った以外何もしていなかった連休となってしまった。

だって飲み屋さん、やっていないのだもの。飲み屋がやっていない=何もしなかったとなると、君は酒を飲む以外にすることがないのかねとお思いになられるだろう。

そう、その通りなのです。お酒を飲む以外やることないひとなんです。普段からお酒は家でも飲んでいるけれども、休みの前日はお店で存分に楽しくお酒を飲むというのが日常の些細な楽しみなわけですよ。

それが一切禁じられてしまっていたわけだ。厳密にいうと禁じられてはいないけど、事実上そういうことである。酒類を提供していたり、営業時間を短縮していないお店もあったけど、なんだか闇営業しているみたいだものな。なんだか飲んでたら気まずいだろうし、そこしかやってないことでひとが集まってきて騒がしそうだから行ってはいないけれど。

「要請」というからには最終的な判断は店側に委ねられているのでひとつの結果でしかないはずなのに、世の風潮としては違法営業かのような視線を注がれてしまっているのだから飲食店の方々は心労が絶えないだろう。

と、まあこんなところでガタガタ言ってるだけでは世の中変わるわけないのでそれはそれとして受け止めることとして、家でおとなしく飲んでいたのだけど、休みが続くことでいつも家で飲んでいる量よりも少し多めにお酒を飲んでしまっていた。

すると、家で飲んでいるにもかかわらずいつ寝たのか覚えていないということが続いた。いわゆる酔って記憶をなくした状態になっていたわけである。

最近お店で飲んでも途中から記憶がないということも結構あり、とてもよくないと思っていたのだけど、飲酒量の加減がつかめずにいたのだ。なにせそのときは全然ふつうにいけちゃうと思っているのだから。でも結局記憶をなくしている。せっかくの楽しい時間を持って帰ってこれないのは非常にもったいない。

ここはひとつ自分の飲酒によって及ぼされる影響を確かめてみようじゃないか。

家で飲んでいるということできちんと飲む量を計れるし、良い機会なのでどれほどの量を飲むと記憶がない状態になるのかのボーダーラインを探ってみることにした。

結果、ウイスキーストレートダブルで3杯強がボーダーのようであった。その先はデンジャーゾーンだ。上記であれば記憶を保ったまま床につき、翌朝朝イチの状況把握のための時間も必要がなかった。

考えてみれば180mlということはウイスキー1本720mlなのだから4分の1である。そりゃあまあそれ以上飲んでたらわりと飲んでいるなという感じがする。あと不経済だ。こういうのは具体的な数字があるとやはり理解がしやすい。

ダブル3杯でそのときは物足りなさを感じているし、実際もっと飲めるには飲めてしまうのだけど、記憶をなくしてしまうというのは飲めているうちに入らないだろう。

お酒を飲むことに楽しみを見出している人間である以上、記憶をなくしてしまってお酒による楽しみを取りこぼしてしまうなど言語道断、すべて回収してこその飲兵衛であろう。

と、個人的に思っているだけでひとそれぞれ楽しめる飲み方で結構だと思います。迷惑さえかけなければ。

長々となに言ってんだという感じかもしれないが、飲む量を調整するようになったのは自分にとっての進歩なので、飲みにいけなかったGWもこの件で少しだけ有意義なものになったかなと。

 

本当は5/5ということで行事食シリーズ、端午の節句編でいこうと思っていたのだけど、おじさん酒飲みの悲哀をつづりはじめたら止まらなくなってしまった。

端午の節句については次回書こうと思う。昔は石合戦とかいう正気の沙汰とは思えないことをやっていたらしいのでそのあたりについても触れていきたい。

 

載せる写真も特になかったので緊急事態宣言恒例、どこも行けねえなら家でいつもよりちょっと良い酒のんでやろうじゃねえかで買ったグレンフィディックで締めようかと思います。

f:id:takian2000:20210505181541j:image