普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

禁欲的という言葉がない世界線に生きる者

【ストイック】

禁欲的で、厳格に身を持するさま。

 

どうだろう。ストイックに生きているだろうか。僕はといえばストイックさのかけらもない。かけらもないどころかストイックという概念がない世界線で生きているとすらいえる。

今週のお題「自分にご褒美」だそうである。

自分にご褒美=なにかしらの我慢の後の見返り

ということである。なんの我慢も頑張りもなくご褒美のみを享受するというのはただただ欲にまかせて望むものを貪るという行為なのだ。

でも、それでもいいんじゃないかなと思っている。世の中ストイックであることが立派なことであるとする傾向があるし、それもまあわからんでもない。ただ、疲れてしまうくらいなら欲しいものは手に入る範囲で欲しいときに手に入れてしまえばよいではないかというのがこれまでふにゃふにゃと生きてきた僕がたどり着いた答えだ。異論、あるでしょうな。お好きなだけどうぞ。

とはいえ、「ご褒美」という言葉は甘美だ。

欲しいものを欲しいタイミングで手に入れたとしてもなにかしらの出来事と紐づけて自分へのご褒美とするということでその甘美な響きを味わうことにしよう。他者を戦慄させるまでのストイックさのなさを誇る自堕落原理主義、怠惰過激派の僕としてはそういった自家発電で対応していきたい。

まあなんというか、皮肉っぽい言い方になってしまうけど、自分にご褒美というのも元々ちょっと自分に言い訳しながらふだんならしないこと、買わないものに手を出すとかそういうことではあるのだよな。それを言ったらみんな自家発電だ。なんだ、みんな変わらないんじゃないか。こんなことを言ったら怒られるのだろうか。どうか石など投げないでいただきたい。

そもそも、自分にご褒美ということをしているひと、できるひととというのは普段の生活で一定の、ルーティンをもっているひとなのではないかと考える。似たようなところで「今日は良いことあったから」となにか美味しいものを食べたりなど。

それを考えると僕はそういったルーティンのようなものを持ち合わせていないのだ。それどころか大半の行動が思いつきで場当たり的だ。

「そういうところ本当になおした方がいいと思う。」と、次元の狭間から妻の声が聞こえてくる。いつもすまんことです。

しかし思い直してみるとこのブログに関しては結構な長期間、定期的に更新をしていることに気づいた。これは自分からしてみたらなかなか上等な話だ。まあやりたくてやっているという部分はあるのでこれだけでご褒美というわけにはいかないけれど。

そうだ、めちゃくちゃPV数がのびたらそれこそ自分にご褒美でもよいのではないだろうか。意外なところでご褒美に帰結してなんかちょっと嬉しい。

問題はPV数だ。このブログは全然PV数がないので控えめな目標設定にしておこう。しかもランク制で。

・PV 1,000/日 PS5

・PV 5,000/日 MacBook

・PV 10,000/日 金具屋(長野の旅館)へ連泊

これでどうだ。いずれもPV数が1週間以上は安定しているものとする。

PVが日に1,000,000などで安定したらもう家でも買おう。別にPV数で収入得ているわけでもないけれども。でもご褒美というのは景気良くいったほうがテンションもあがるだろう。

設定しておいてなんだけれども、PS5は目標関係なく買ってしまうかも。そしたら別のものにすげ替えよう。

 

さあ見ているか、妻よ。

君の夫のブログPV数が増えると出費が増えるという謎のルールが定められたぞ。

 

たぶん妻にもご褒美が必要だな。