普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

好き以上寵愛未満だったりその逆だったり

自分でもなかなか気づけてない好き嫌いというものがある。

具体的にいうと解体中の建築物惹かれる。その理由を自分の中でもまだ見いだせていない。

なにがいいんだろうか。もしかしてシンパシーだったりするのだろうか。だとしたら僕自身今までの自分を壊して生まれ変わりたい願望が心のどこかで持っているなどがあるのか。いや、でもそれはたぶん違う。なにせ、解体が終了し、更地を経て新しい建築物が建ってもそれには心を動かされない。

あくまでも解体中の建物、というのがテンションあがるのだ。破壊からの再生ではなく、あくまでも破壊にフォーカスをあてたい。中2心は丸出しで行きたい所存。

ショベルで切り崩されて断面図みたいになっているところとか最高に興奮する。興奮とかいってしまった。これはもはや性癖に通ずるものが…?あってたまるかと言いたいところだがそこは絶対にないとも言い切れないので今後も自分の心とよく向き合っていこうと思う。

ここでひとつ付け加えておきたいのが廃墟趣味ともまた違うのだ。あくまでも取り壊し工事が行われているライブの状態をまじまじとみていたいというわけだ。

あれか、昔の少年向け雑誌に載っていた怪獣解剖図みたいな感じに見えなくもない。あれは確かに好きだった。ふだん隠れて見えているものが乱暴な手法で露わになっているというのがよいのだろうか。意外性とでもいうのか。これもまたとりようによっては問題のありそうな発想だ。

これだけ良いなと思っているのに結構過去からの写真をあさっても取り壊し中の写真が出てこなかった。熱量低いな。

これからは積極的に写真を撮っていこうと思う。

 

上記とは逆に、意識していなかったけどあまり好きではなかったのだなと最近になって気づいたのが卵料理だ。火を通した卵がそんなに好きではないらしい。

メニューの中にあっても積極的に選ばないし、自分で料理するときも材料として選出されない。

これももまたなぜなのかはんからない。食べられないとかではなく、好んで食べないという曖昧な立ち位置だ。例えばオムライスのお店に行こうと誘われれば行く。たぶん食べて美味しいとも思うんだとは思うんのだけど、心のどこかしらにこれじゃない感を払拭できずにもやっとするのだろう。

とかいってますけどね、しっかりテンション上がってオムレツの写真撮ってたりするので自分てのはつくづくあてにならないもんだなあと思うのだった。

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ぶれっぶれのオムレツ。まんなかに切り込みが入れられうわ〜!の展開がこのあとある。

 

でも、好きもそうじゃないもそんなに無理やり白黒つけようとせずにふんわりと受け流していくっていうのもいいんじゃないかなって思ってたりする。

それをひとはずぼらと呼ぶ。

そう、ずぼらな僕からのぼやきでした。