普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

両手ですくいあげてもこぼれるもの

両手ですくいあげてもこぼれ落ちてしまう。

そんな表現を見聞きしたらこぼれ落ちるものとしてなにを思い浮かべるだろうか。

砂だったりすると何か儚さを感じるし、寂しげな物事の比喩のように感じるし、水だったりすればとらえようのないものをへのもどかしさを感じるかもしれない。

しかしどうだろう、それがあんかけであったら。あまつさえとろろであったら。

風情というものからは一気に遠のく。しかしそのシチュエーション、大変に興味深いではないか。両手へ絶え間なくそそがれるあんかけ、すくいあげるあんかけ。指からこぼれ落ちるあんかけ。なんだかもうエロスすら感じる。と、思ったがそれはおそらくローションを連想したのだ。風俗とかの。独特のローションを混ぜる仕草を思い出した。実際に見たことはないけれど。

なんだかんだとこういったものというのは芸術に結びつけることは可能なのかもしれない。

あんかけはぎりぎりあるとは思うけれど、とろろはどう頑張ってもそちらには寄せられないな。

では手からこぼれおちるとろろとはなんなのか。そもそも指の隙間からとろろが流れ落ちていくさまを想像してみて欲しい。辛すぎる。あまりにもギルティだ。

しかも山芋ならまだよいが、自然薯だったらどっしり手の上に居座るだろう。

 

ちょっと自分でも何言ってるかよくわからなくなってきてしまって収集もつかないんですが、何が言いたかったかというと、現象は一緒でもシチュエーションが少し変わるだけで意味そのものがまったくかわってしまうのだなということ。

なにか言おうとしているように見えたりもするかもしれないが、まったく何もない。単純にとろろが手からこぼれ落ちる様を見てみたいと感じたのだ。

 

こぼれ落ちるとは違うのだけれど、昔バンドの打ち上げでカラオケ付きの部屋へ通されたことがあった。夜も深くなるにつれて酒も進み、最初は照れもあってカラオケには手を出していなかった面々も徐々に自分の歌える曲をぽつりぽつりと歌うようになり、最終的にはTRFのサバイバルダンスで大盛り上がり。ちなみにこのときの打ち上げのメンツはゴリゴリのハードコアのひとたちだった。

サバイバルダンスのサビのさーばいばるだんすっ!というみんなでシンガロングするところでモニターに一同の視線が集まった。そして視線を戻して正面を見るとハードコアの兄さんの両手のうえにこんもりとした何かが。

吐瀉物だった。

え?この一瞬で?マジで?とみんなざわついたが、吐瀉物を手にこんもりさせている本人がいちばん「え?どういうこと」みたいな顔をしていた。それを聞きたいのはこっちだ。

一瞬であれほど完璧な状態を作り出したというのはひとつの奇跡であったと言えるだろう。

これに関してはこぼれ落ちなくてほんとよかったです。

 

また別のジャンルのコミュニティに属してしたことがあるのだけど、そのひとたちはもう躊躇なく吐き散らかしまくってたな。むしろ吐瀉こそ美徳とすらしているフシすらあった。

そんな話もまた今度書こうかと思う。