普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

判断できるひと、できないひと

定年派遣のおじさんとちょこちょこ連絡をとるのだけど、昨日おじさんから今週末おじさんが以前住んでいたマンションの管理人夫妻と行きつけの飲み屋に飲みに行こうというお誘いがあったとの連絡があった。

以前から仲良くしているひとたちらしく、平時であればそれはもう秒で参加表明するところだろうけど、今は平時ではない。最初は葛藤がありつつも参加する方向で考えていたようだが、さすがに止めた。もしもがあったら悔やんでも悔みきれないだろう。そのうえおじさんは60代も半ば。罹患したらただごとで済まないゾーンに足を踏み入れている。

驚いたのは元々誘ってきた管理人夫婦をはじめみんな高齢者なのだという。おじさんは最若手、最高齢80歳なのだとか。挙句、管理人夫婦はほぼ毎日出歩いており、その奥さんは訪問介護に行っているらしい。それ、どうなん?と思わざるを得ないメンツだ。たまに見聞きする「全然いうこと聞かない老人」がここにいた。ある意味ではこれが世間というものでもあるかもしれない。

どう考えてもリスクが大きい行動だと思うので一通り止めたが、それでもやっぱりたまにはひととの触れ合いだってほしいだろうなとは思ったので(ふれあいがだめなんだけど)家飲みで、来客に衛生意識をフルスロットルにしてもらうならまだマシなのではと提案してみた。なんなら手足とか5分に一回生え変わるくらいしていつも新鮮、清潔な状態を保ってほしいものである。

おじさんは結局飲みは断ったそうだ。英断である。せっかくここまで我慢してるんだから1度の気の緩みで今まで積み上げたものをなくしてしまうのは避けてほしい。

自粛警察とかっていう話も聞くし、あれはやり過ぎたと思うけれど、その逆で奔放に行動しすぎ勢もやっぱりいるわけだ。そういうひとたちの言い分って「自分の人生なんだから自分がどうしようかは自分で決める。」だとか、「自分はコロナにかかってもかまわない。罹患したとしても治る自信がある」とか平気で言えてしまうひとだったりするのだろうな。

そりゃあ、あなたひとりの問題で解決するのならそれでよいのよ。周りのひとが思っていることは「あんたがどうしようかは確かに勝手。でもその勝手が結果的に感染者を増やすのであれば自分の人生のことだけじゃなくなってくるでしょ?」ということなのである。コロナ受け入れ方のタイプもそうだ。あなたが罹患してもこちらとしても構わない。その代わり罹患した瞬間に完全にひとと接触しない空間に転送でもされる設定にあらかじめしておいてくれ。

僕は自宅にいる時間は苦でもないし、自分が我慢してるんだから他の我慢してないひとがずるいなんてことも思わないけれど、一部の浅薄な考えなひとたちによって迷惑を被るのだけは勘弁願いたい。

 

そもそもの話、「自粛」だの「要請」という言い方がどうにも抵抗がある。ダメならダメで禁止と言えばよいではないか。そういう曖昧なことしてるから趣旨を理解できないひとがあらわれるのだ。

男女間で好きとか言われてて、体の関係もあって付き合ってるみたいなもんだなーとか思ってもそれ付き合ってないからね!「まあこの感じ、わかるでしょ?」「ああ、まあ…」みたいなもんなのよ、今の状況。そんでふたりはつきあってるのかな?って質問すると音信不通になるんだよ。

 

なんかよくわからんけど近所にいそうな世話焼きおばさんモードが出たところで本日は了と致します。