普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

擬似モラトリアム

最近めっきりゲームをやらなくなっていたなか、週末はがっつりとゲームを楽しんだ。いい歳してとかそういうことを思わないでもないのだけれど、僕らの世代はいわゆるファミコン世代というやつで、テレビゲームの黎明期にあたる時代を経験している。テレビゲームへの思い入れは強い世代なんじゃないだろうか。

いい歳して、とは書いてみたけれど、僕らよりうえの世代のひとたちが学生の頃にはまだテレビゲームが存在してないわけで、ハマりようがない。それでも子供の頃に夢中になっていた趣味が大人になってまで持続することまあるだろう。僕にとってのゲームとはそのようなポジションなのだ。

うえの世代が夢中になっていたものってなんだろうな。鉄道模型とかだろうか。それなら今でも趣味としているひとはいそうだ。ちなみに流行っていたものはこっくりさんらしい。おじさん同士できゃっきゃいいながらこっくりさんやってるのとか、なかなか味わい深いものがあって見てみたい気もする。こっくりさんに人事異動とか株価のこととか聞くんだろうか。人事異動はともかくとして株価をあてにくるこっくりさんてもうそれこっくりさんではなくてやり手トレーダーだな。

話はそれたけど、そんな夢中になっていたゲームとも距離ができるようになってきていた。僕と同じようなひとはわりといて、その理由をゲームがつまらなくなったというひともいるけれど、ただ単に僕らがゲーム制作者のターゲットとしている層から外れただけなのかなと感じている。ちょっと寂しいことだけれど、そりゃまあ相手も仕事、商売でやってるんだから売れないと話にならない。

とはいえ、年に数本は寝る間を惜しんでまで入れ込むゲームも出てくる。僕が子供の頃にファーストタイトルが発売され、今もナンバリングタイトルとしてリリースされているものが多い。ファイナルファンタジーとかドラゴンクエストとかゼルダの伝説とか。特にゼルダの伝説伝説(breath of the wild)はここ数年で最も時間を割いたゲームであったといえる。誇張抜きに「魂をもってかれた」と感じた程だ。ゲームのシステムがとてもよく出来ていて没入感がすごい。あれほどのゲームは向こう10年くらいでてこないんじゃにいかな。と、お前話盛りすぎなんじゃない?と言われてでも主張をしたいほどよく出来ている。別に任天堂に妻を監禁されて宣伝を強要されているとかではない。純粋に褒めたいだけである。そもそもここで僕が声高にふがふがと鼻息荒く熱弁してみたところで瀬戸内海にに塩を1kgまいときました!というくらい意味がない。でも言いたいの。言わせておくれよ。周りになかなかそんな話ができるひとも少なくなってきてしまったので。たのむよだんなー。

ちなみに先週末にやっていたのは戦場のヴルキュリア4というゲーム。これもナンバリングタイトルなのだけど、4以外はやったことはない。いわゆる戦記物とでもいうんだろうか。そこに群像劇が加わったものでキャラごとにストーリーがあって引き込まれる。主人公が無双みたいなのよりも色々なことを思っている個人がちょっとしたできごとをに悩んだりしてそのキャラらしさをはっきしているのが好みだ。

最初に夜更かししたと書いたけど、土曜の夕方くらいからやり始めて結局日曜の朝6:00までやっていた。それでも寝なければという思いで仕方なくやめたくらいで、まだまだやっていたい気持ちは枯れていなかった。早朝くらいに妻が起きてきて「まじで!」といって去っていった。それはそうだ。不惑の夫がモラトリアム期の学生のような週末の時間を過ごしているのだ。理解されないのはわかる。

でも僕らファミっこなんですよ。ゲームは1日1時間とか正気か?と本気で思った。学力の低下などが不安視されるのであればテストの点数×0.1かける教科数とかにすればそこそこゲームやれる時間増えるのではないだろうか。ゲームやりたいひとは頑張るし、そうでないひとはもともと勉強に向いてないだけのひともいるだろうからあんまり意味はないけれども。

最近楽しいことを声の大きい外野が規制しようというながれが多いように思う。納得いかないところまではかまわないのだけど、なぜ自分の意見を他人に押し付けようとするのだろう。

もっとおおらかに生きていきたいな心底思う。

あ、一応フォローしておくと状況しだいなとこはもちろんある。今いったのは客観性を欠いたただの感情的な意見に対してということでご理解賜りたく存じ上げます。