普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

此岸と彼岸

勤め先は去年あたりから働き方改革だかなんだかの都合で従業員の働き方にあれこれと言及するようになってきた。年間の有休取得率の制定、残業警察などそれはあれこれと。

その中の一環として、時差勤務というものが選択できるようになった。若干のフレックス的なもので、決められた時間だけ働けば前後に時間をずらしてよいよということなのだけれど、今まで利用することはなかった。早起きするなどという高邁なことが僕にできるわけがないからだ。かといって出勤時間を遅らせれば自ずと退社時間も遅くなるわけで、とっとと帰りたい原理主義の僕としてはそちらも選択肢として発生しない。

従前通りの通常勤務をしていたところに昨今のコロナ案件である。少しでも感染率を下げるためにと1時間前倒しでの出社が推奨されるようになった。推奨というより半ば義務であるわけなのだけれど。普段でも起きるのが辛いのに大丈夫なのかとだいぶ不安ではあったわりには時差勤務が始まってみれば思いのほか馴染むのが早かったし、悪いことばかりでもなかったというのが正直な感想だ。

今の職場に勤めるまで、上京からずっと夜型生活を送ってきた僕が早朝に通勤をしている。ひとひというのは変わるものなのだな、としみじみと感慨にふけりながら通勤をしていたところ、駅前の広場のなんかテンションが高いひとたちに意識が向いた。毎朝そんな感じのひとというのはそこそこいるのだけど、今日ふと「あのひとたち何やってるひとなんだろう…」という考えが頭をよぎったのだ。

次の瞬間にハッとした。ぼくも"あちら側"の人間だったではないか、と。そうか、こんな感じで見られていたのか。なにやってるのかわかんないひと枠だったわけだ。大丈夫。ちゃんと働いてはいました。バイトではあったけれど。

きっと駅前のなんかテンション高いひとたちも当時の僕と似たような環境であったりするのかもしれない。と、すれば通勤する僕を見て、ようこんな朝っぱらから働きに行く気になるなーとか思っている可能性はある。僕は思っていた。なかなかにして志が低い。とはいっても働いてはいたんですよ、マジで。無職で暇だから朝まで酒飲んで酔い覚ましに駅前広場でクダ巻いてたとかそんなんじゃないんですよ。やったことがないとは言わないけどそこまで酷い状況であったことは稀だ。

「世間」というものを少し知るようになり、昔の自分を客観視する瞬間に出会ったのはある意味貴重だ。ライブ帰りとか150%くらい酔っ払ってたし、始発どころか通勤の方々に混ざって家に帰っていたし、ちょっと座ろうと思ったらそのまま寝てしまって、挙句超満員の通勤電車の座席で横になって寝てたしね。横になったまま目を覚まし、これあかんやつやとそっと目を閉じてまた寝た。傍らにはアンプもあった。すげえ根性してるな。怒られなくてよかった。

 

駅前広場といえばどの時間に訪れても少し個性の強いひとはいるもので、この間帰りに通りかかった際には広場の端の方で現政権に対する不満をあまりスジの通ってない論調でまくしたてているおじさんがいた。そこまではまあよくいる手合いだ。その日は逆サイドにいるたぶん不満爆発おじさんとは面識のないおじさんが呼応して雄叫びをあげていた。言語を発しているようには聞こえなかったのでほぼフランケンだった。

混沌としすぎていて最高だった。やべえ街だなとは思ってはいるけどやはりこういうところがあるから離れられない。

僕も予備軍だったりするわけなのだろうけど、今は社会のぬるま湯につかっておこうと思う。