普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

パーティークラッシャーC

今日から新年度。パーっといきたいところだけど、このご時世そうもいかない。それも仕方のないことだ。日常を求める代償に今は非日常を過ごさなければいけない時期だ。

そんなことを思っていても会社に勤めている以上、この時期には人事異動が発令される。移動制限とかなんとか言ってる時期にひと動かしてる場合なのかなと思わないこともないけれど。

前期までとなりで仕事をしていたひとが退職となったので、今日から所属のチームに配属となったひと、どうにも不安だ。もともと営業をずっとやってきたというのが関係あるのかどうなのかわからないが、ひとの話を聞いているのか聞いていないのかよくわからない。いるでしょ、そういう営業のひと。なるほどですねー、とかいうタイプ。でも最初から決めつけで対応するのはよくないのでじっくりとお局のような気持ちで見定めさせてもらおう。この発想がすでに根性が曲がっている。実際は素の自分で接して相性が合えばいいなくらいの気持ちだ。

先に述べたとおり、となりで一緒に仕事をしていたひとが退職となった。退職後は地元で商売すると言っていたけど、生真面目でわりとサラリーマンの鑑みたいなひとだったので少し心配だ。いらん心配だろうけど。

去るひとがいて来るひとがいる。そんなときには歓送迎会が行われるものだ。そうでなくても時期的に花見だの期末の打ち上げだの期初の進発式とちょっと考えるだけで宴席が盛りだくさんの時期である。それもすべて開催を見送る他ない。ついでにいうと自粛って言葉、なんだか好きになれない。別に自粛は構わないのだけど、自粛要請を受けての自粛というのがなんとなく気に入らないのかもしれない。勝手にするのはよいけど。思春期おじさんここにあらわる。

話がズレた。送別会とかそういうことができないので、なんとかこぎつけたのがランチミーティングということだった。実質会食なんですけどもね。会食します☆って申請しても通るわけない。とはいえ、上司だって長年勤めた退職者をなんの送り出しもないままにするのは気が咎めたのだろう。会議室でミーティングという形式をとってなら、というこじつけによるイリーガル会食が開催を許された。大きめの会議室だったし、二席くらい離れてだったので昨今の問題を鑑みてもリスクは少しコントロールできていたのではないかと勝手に思っている。席の位置関係もちょっと貴族の食事っぽいし。

そこで用意してもらったお弁当というのがなんだかよい焼肉屋のお弁当だそうで、たっけー肉がふんだんに乗せてある焼肉弁当だった。そのビジュアルが目に入ってきた途端、歓喜の気持ちよりも先に不安がよぎった。これ、食べ切れるだろうか、と。実際食べ始めたらやっぱり美味しい。A5ランクの肉とか言ってたからな。それはやっぱりうまい。でもすぐに胃が入庫拒否を始めてしまうのだ。最近うすうす気付いていたことではあるけど、味覚は子供なのに胃腸は老人だ。そんなこんなで会食中での完食は遂行できず、持ち帰りとなった。

持ち帰って改めて食べ始めたのだけど、そこでも胃腸に重くてお肉を残してしまった。さすがに時間も経っているので妻に晩ご飯として食べてもらった。ほんと、おいしいものを思うように食べられない悲しみをこういった形で味わうことになるとは。

昔、友達が務めていたという植木屋の棟梁が言っていたという「目はなんでも食べたがるんだけどよ、いざ食べるとすぐ腹一杯になっちまうんだよ」という言葉がリアリティをましてきた。ほんとにそうなっていくんだな。

いやしかし、これはひとつの進化と考えればいいだろうか。少ない栄養で日々の生活を送れるのだ。言い換えれば燃費がよいということだ。今の世の中好まれそうな仕様じゃないか。前向きなこと言いながら後ずさってるような理論だが後ろを向いてしまったら飲み込まれるので振り向かない。

 

最後に、コロナに関しては自分ができることを真面目にこなして、日常に戻れるようにしていこうと思ってはいつつ、同時に超絶不謹慎なことも考えてたりする。とっちかっつうと不謹慎側がホームですからな。落ち着いた頃にどこかの酒の席で吐露します。