普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

いもへのシンパシー

特になんの用事もなかったのだけれど、ふと思い立って有休申請を出して休みをとった。明日休みます、で休めてしまう環境で本当にありがたい。

それで休んだのが昨日。本当になんの予定もなく休んだものだから、この休みなにに使ってやろうかと鼻息荒くしたものの、前の晩に夜更かししてしまい遅めの起床となり鼻息は沈静化。のそのそと一日が始まった。僕は二度寝力には相当なポテンシャルがあるはずだ。

のっそりと始まってしまった一日だけれど、何もしないで過ごすのもいかがなものかと落ち着いた鼻息で考えたところ、前々からやろうと思っていた家飲みおつまみストック作りにあてようという結論にたどり着いた。やることが鮮やかに決まり、少しだけ鼻息は荒くなった。

一旦やることが決まればフットワークは軽いほうだ。献立を考え、必要なものを揃えに颯爽と買い物に出かけた。平日の昼だというのに結構ひとが多かったけど、コロナの影響とかあるのだろうか。だとしたらコロナめ、穏やかな平日の昼間を奪うとは許すまじ。

コロナにやつ当たりながら買い物を終えたのだけど、気づいたらめっちゃ買い物してた。肉とか2キロくらい買ってしまった。やる気満々か。そう、やる気満々なのだ。調味料とかも結構買い足したりしていたのでレジ打ちのひとからコロナの影響で自宅にいるしかないけどうざがられるのも悔しいから子供のためにはりきるお父さんかなとか思われてたりしただろうか。それはそれでやっぱり鬱陶しさがある。コロナめ。

買いすぎくらい買ってしまった荷物を自転車のカゴに無理矢理乗せてよたよたと家に帰り、一服したのちに調理を開始した。基本的に冷凍できるものを、とせっせと作業。好物であるコロッケも冷凍でいけるだろうと仕込んでいたのだけど、なんだかじゃがいもがうまいことマッシュされない。ゆでが足りないのかなと思ったりもしたのだけど、食べてみた感じそういうことでもないようだ。

どうもじゃがいもそのものがコロッケにあまり向いていないものを買ってきてしまったようだ。みずみずしさがないというかなんというか。買うときに何種類かあって迷いはした。それでもこのじゃがいもになにかしらのシンパシーを感じて購入したわけだけれど、それはあれか、ぱさぱさ感か。おじいちゃん感か。そんなところにシンパシーを感じてしまったのか。このぱさぱさの僕は。ぱさぱさのじゃがいもはコロッケにはなれない。ということは、ぱさぱさの僕もコロッケにはなれないということだ。世知辛い現実を叩きつけられてしまった。

結局それを揚げる気分にもならず、コロッケの中身のようななにかが出来上がった。食べてみたら味そのものはまあまあだったので結果オーライだ。でもたぶんこれ、ポテトサラダっていうんじゃないかな、と思ったけどなんとなく認めたくなかったので一時的に僕の世界線からはポテトサラダの存在を消去した。

そんなことがありながらもえいやそいやと料理を仕上げていたわけだけれど、結果、半日くらいはずっと料理していたので充実感こそあったものの、普段の仕事よりかなり疲労感があった。なんかひと仕事したなという感じで。

夜は件のポテトサラダ…ではなくコロッケになれなかった悲しい存在を肴にコロッケにはなれない悲しみをわかちつつ晩酌した。

おつまみは豊富につくったのでこれからの晩酌ライフがはかどりそうだ。

 

誰だってなりたい食べ物、あるんじゃないかと思うんですよ。それが僕の場合コロッケで、しかも不可能だと思い知らされたわけだけれど、実はとんかつにもなりたいです。全茶連(全国茶色い食べ物振興連合会)としては。