普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

感慨とかからの派生

3連休のなか日、旧友のバンドを見に行ってきた。両国まで。彼らと出会ったのはもう15年ほど前になる。旧友って普通に書いといてなんだけど、旧友なんだよなと改めて少し驚きを感じた。

15年前の彼らは結成して間もないバンドで、今とメンバーも活動スタンスも違うものであった。

長く活動していれば色々あるものだし、順風満帆であったとも言い難い部分もあったと思う。でも、今の彼らは僕が知る限り最高の状態であるように思う。

その15年ほど前。僕自身の考えとして、バンドは続ける事に美学があるものだとは感じていなかった。歳を重ね、動員も伸びない。でも歳だけはうえだから気を使うべき存在ではあったりする。自分がそんな存在になりたくなかったかというのが理由だ。

しかし、実際旧友のバンドをみていると、続けた分だけの説得力があるわけだ。

結局、当時僕が見てきた周りのバンドというのがそういった継続による最良の形が出せていなかっただけなのかもしれない。そして、そんなことを言い訳に自分も逃げ口上として利用していただけなのかもしれない。

今となっては結果を残したものだけが言及してよい部分ではあるのだとは思うけれど。

ライブはレポートできるほどもう現場の空気感はわからないので「かっこよかったっす!」くらいしかいえない。好きだなと思うバンドは見れるうちに見るべきだ。

それよりもなんだか昨日はやたら眠気がすごくてそこが一番問題だった。昼寝までしたわけで、通常ならみなぎるシチュエーションであるはずなのに、なんだかずっと眠いしテンションがあがらない。事実上寝起きであったというのがよくなかった可能性はある。それをライブ会場の友人に伝えたところ、赤子か老人なのでは、と返されたのでまよわず老人だよねと返答しておいた。

そんな状態であったこともあったので終演よりも前においとますることとし、おとなしく家に帰った。

 

これから先、変わってきた自分たちだからこそできる何かを模索していけたらよいのかもしれない。10年以上前の想いだけじゃそんな一途にやっていけるかといったら僕には自信がない。過去の経験とこれからの試験的な試みをミックスしたものを生み出せたら単純に楽しそうだ。

それでいいんじゃないかなと思っているけれど、なかなかにして腰が重い。腰の重さってどこからくるんだろう。年齢も重ねてくるといい加減経験則で動くから楽観的なビジョンが持ちにくくなるのだろうか。

そういうのってすこし寂しいな。もうdo or dieの精神で生きていきたい。

2020、そんなのもありかも。