普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

運命の翼

運命の出会いを求めている。

結婚している君が何を言っておるのだ、という意見もあるだろう。だが待ってほしい。出会いの対象は女性というわけではないのだ。

ではどういった出会いを求めているのかといったら、それは犬なのである。

 

かつて、犬と生活を共にしていた時期があった。まだ上京前、高校生のころだ。だからもう20年以上も前ということになる。

一緒に過ごした時期というのは3年ほどだったのだけれど、室内犬だったのでそれはもう濃密な時間を過ごしたとはっきりいえる。そんじょそこらの同棲カップルよりはるかに濃密であったといえるだろう。

仔犬の頃から一緒に過ごしはじめたため、こちらの意図することをよくくんでくれる犬だった。

トイレはもちろんのこと、化粧が落ちるからと母が顔をを舐めるなと言い続けたら舐めるのをやめ、顔付近でくんくんにおいを嗅ぐだけで我慢をし、制服などに毛がつくから飛びつくなと言えば着替えを済ますまでは飛びつきたそうにひとの周りをぐるぐると周るのだった。着替えたら待ってましたとばかりに飛びついてきたけど。

いや、トイレは少し違う。おしっこはおしっこマットに完全に粗相なしでこなすのだけど、フンをする場所に難があった。

彼女(メスです)の中で何を思っていたのか知る由もないが、人間用のトイレの前、ようは廊下なのだけどそこにするのだ。あとは階段を上り切った位置。それトラップでしかねえだろという位置にしていたのだった。もちろん何度かは踏んだ。家の中で犬のフンを踏むってなんかのなんかの例え話とか慣用句みたいな状況だけど日常なのであった。

フンに関するエピソードには事欠かない犬で、他にもある。

先にも書いた通り濃密な時間を過ごしていたわけで、家にいる時は常に一緒にいると言っても過言ではなかった。もちろん寝るのも一緒。でも僕だって思春期ボーイなのでひとりで眠りたい夜もある。そんなときは「今日はすまんな」と、抱き上げて廊下に出し、ドアを閉めてしまう。

すると、しばらくは前脚でドアをカリカリしながら寂しげな鳴き声をだし入れてほしいとうったえてくる。しかし僕はひとりで寝ると心から誓っているのだ、受け入れるわけにはいかない。そのうち寂しげな鳴き声はやみ、僕も眠りに落ちる。

 

翌朝。

目覚めてドアを開け、部屋を出ようとすると必ずあるのだ、フンが。ドアの前に。

これはもう確実に報復目的でやっているだろうとしか思えない確率でかまされていた。

閉め出してしまっていたぼくも悪い。悪いけれどもやつもやつであんまりだろう。

そういえば読む前のジャンプのうえにフンをされたこともあったな。あの犬コロめ…!

 

などとフンに関してだけでも思い出に事欠くことがなく、それ以外のことだって様々な思い出がある。そんな彼女とも別れの時を迎え、あ、これ虹の橋を渡りとか言ったほうがいいところだろうか。いやまあとにかく共に過ごした時間というのは終わりを迎えたわけだ。

時期としては上京数年後くらいのタイミングだったと思う。

 

と、ここまで語ったところで冒頭の運命の出会いである。これだけ愛情をそそぎ、その愛情を返してくれていた愛犬との時間を超える出会いはそうあるものではないと考えている。

自分でペットショップにいって同じ犬種を買うということはどうしても気が咎める。ちなみに犬種はキャバリアという犬種。運命的な、もう一緒に暮らすしかないだろうというやむを得ないような出会い方をしたいのだ。そしたらも住宅事情など無視する。即決する。里子だったり、知人からの相談だったり、そういう偶発的なものであれば不可抗力ではないか。過去の時間を裏切る事にはならないと考えているのである。

犬種的にそういうことって起こりにくい犬種ではあるのだけれど。だからこそそんなことが起こらないかとひっそりと運命の出会いを期待している。

 

全然関係ない話だけど、今日のブログのタイトルはジューダスプリーストのセカンドアルバムの邦題だよ。1976年発売原題はSad wings of destinyだよ。ぜひ覚えてね。