普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

とんかつ観

なるべく物事はフラットに受け止めたいと日頃思っている。そうは思っていても自分でも無意識のうちに偏見をもった見方をしてしまうときがある。

それは例えば街中を歩いているときに気付いたりする。

前方から歩いてきた恰幅の良い男性が吸い込まれるかのごとくとんかつ屋に入店していくのを見て「うんうん、そうだよな。」などと思ってしまうのである。なんなら良いものを見たくらいのお得感すら感じてしまっているのだ。そしてご飯は大盛りを頼むのだろうな、などと勝手な想像まで繰り広げる始末。

これを偏見と言わずしてなんと言おうか。

僕の中の太っているひと=とんかつの図式がそうさせているのである。ほんと、失礼な話だと思う。それでもこの先僕は太っているひとがとんかつ屋に入店するのを見るたびにちょっとした高揚感を得るのだろう。

ただ、考えてみてもほしい。世の中のステレオタイプ的テンプレートってあるの思うのだ。上記の例は僕が勝手に思っているだけだけれど、「これ」には「これ」みたいなものが。

酔っ払いサラリーマンに寿司折、そして頭にはネクタイ。そんなもの見たら嬉しいに決まっている。要はそういうことなのだ。

現実にそんなひと見たことないし、たぶん見られる確率で言ったら北海道でオーロラを見るとかの方がまだ確率としては高いのだろうけど、諦めきれない部分はある。

他にも浪人生は段ボール箱を机にして学生服で鉢巻き、ビン底メガネで無精髭。いや、これは勉三さんだ。しかし僕の中の浪人生ビジョンは勉三さんなのである。やはり見たら感激するだろう。これに関してはもしかしたら酔っ払いサラリーマンよりはいる可能性はある。絵に描いたような酔っ払いサラリーマンなんてほぼUMAだものな。モケーレ・ムベンベとかと同じレベルだ。

こういったものってすごくキャッチーだと思う。だから見れたら嬉しいと感じるのかもしれない。冒頭のとんかつ屋のひとだってもちろんキャッチーだ。

世の中難解な事なんてそう多くない方がよい。すぽーんと気持ちよく頭の中に入ってくるキャッチーさのある現象にもっともっと出会っていきたい。

次に目指すのはアメリカ人がコーヒーにドーナツを浸しながら食べる姿だろうか。

あれ、ディズニー映画のアニメでしか見たことない描写だけどほんとにやるんだろうか。まあドーナツは良い感じになるかもしれない。でも浸されたコーヒー、えらいことになっとらんか。ドーナツの油で。そんなコーヒーを飲んでうべーって吐き出すところまで見られたらもう完璧。

他にももしかしたら国の色が出てる表現であるのではと思う。風刺とかそういうことでなく、おもしろおかしく見られたら平和だなと思っております。