普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

覚悟をもって挑め

なにかネタになる話題でもあればとツイッターのトレンドをのぞいてみたところ、今日は胃腸の日らしく、ハッシュタグで"胃もたれしてでも食べたいもの"というのがあがっていた。広告なのかもしれないけど。

そこで自分だったらどうだろうと考えてみると、そういうことって思わないタイプであるという結論に至った。

後先考えずに行動して後悔したことは数あれど、後悔が先に見えているのにあえて行動に移すということはあまり思いつかない。胃もたれしてでも食べたいっておそらく前述のようなことだろう。

例えば、二郎系のラーメンを食べると必ず後悔をする。胃もたれとかそういうことではなく、なんだか食べ終わったときに猛烈に消耗するのだ。あれは食事ではなく戦だ。完全に一戦交えてる。

でも、食べる前までは本気で今日は二郎の気分だなーとうっきうきなのである。後悔するなんて1ミリも思っていないのだ。

もうひとりの僕がそこにいれば止めてあげるのが優しさだろう。しかしもうひとりの僕はいない。ただただうきうきしながら戦場へ赴くのだ。返り討ちにされるなどとは少しも考えずに。

 

あと食べて後悔するのはニュータッチカップの家系ラーメンだ。厳密には家系とは言っていないのだけど。"横浜ラーメン"とか"横浜系"ラーメンとかそういった雰囲気系の売り文句で攻めてくるのだ。お、家系いいねえ、などと買って食べると大体がっかりする。こんなん家系じゃないじゃないか!と、憤怒するも、家系とは書かれていない。ニュータッチの勝ちだ。

食べた後に大体後悔する。あー、これじゃなかったなと。

これに関しては実のところ何度も同じような経験をしているので、食べたら後悔するかもしれないという気持ちは実は少しある。でも、今度こそは!と信じる気持ちでニュータッチを買うのだ。そしていつも裏切られるわけだ。

やっぱりもうひとりの僕がいたのなら、親切で声をかける。裏切られるに決まってる。そんなやつやめとけよ、と。しかしもうひとりの僕はいないのだ。今度はあのひとと幸せになれそうなの!と心のどこかで感じている不安をかき消してニュータッチを求めるのだ。

 

て、全然胃もたれがどうとか関係ない話だったな。もたれるという感覚ってあまりわからないのだけど、カルビとかロースとか脂が多くてあまり好きじゃないので無意識にもたれることを避けているのかも。もたれてまで食べたいという考えには至らない。

でも揚げ物は好きなのでよく食べる。量は食べられないけど。単純に胃のキャパ的に。

ちなみにこれは年齢的なものではなくずっと前からの好みだ。それ言っちゃうとまたもたれるとか関係なくなってしまうな。

 

むしろもたれる食べ物をもたれるまで食べられるというのは健康体でないと出来ないことになると思うので、健康なひとはどんどんもたれていったらよいのではないだろうか。

僕は二日酔い担当でいきますのでお忙しいところ大変恐縮ですがよろしくお願い申し上げます。