普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

時が紡ぐもの

インターネットの位置づけって、僕が最初にインターネットに触れたときとはもう別のものになっているのだなと最近よく感じる。Twitterとかみてるとなおさら。

別に昔が良かったなどというつもりはさらさらないけれど、変化にはあまりついていけてはいないように思う。

昔っておもしろいことをいうひとが発言する場所であったと思うのだ、インターネットの世界は。今って誰でもわりといつでもどこからでも発信できるものだから、そのハードルって感じてるひとはほぼいないのだろう。

僕は気の利いたおもしろいことなんて言えないのでTwitterなんてめったにつぶやかないけれど、Twitterのトレンドとかハッシュタグとかをたまに追ってみると大喜利のような空気になっているにも関わらず日常会話以下のことを投下しているひとが結構な割合でいるのだ。

それが今のインターネットとと言われればそれまでたけど、なんだかなあと思ってしまったり。

ああいうのって、僕でいうところのmixi日記みたいな感じで後で思い出してあーってなるんだろうか。若気の至りでしかないあの日記も、当時は勢いよく更新していたものだ。

身内限定に公開していたものだからちょっと方向性は違うのかもしれないけれど。

あとは前略プロフィールとかね。あれも自分のなんかはかわいいもので、突き抜けてるひとは相当な高みまで昇り詰めていたからなあ。

魔法のあいらんどもそうだよな。というか魔法のあいらんどと前略プロフィールで合わせ技かましてるひとというのもわりといたよな。

そんなことを考えればいつの時代もそんなに大差ないのかもしれない。

インターネッツ老人会は暖かく今を見守るべきなのだろう。自分もその一員としてそのうちmixi日記読み返してみよう。