普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

高いとか低いとか以前

意識高い系という言葉がある。

いわゆる自己研鑽に余念がなく、能力の高いひと。というのがこの言葉の出始めの頃の受け取られ方だったようだ。

ところが次第に、やたらポジティブな発言が目立つけど空回りしてるひと、大きなことを言っているわりには中身の伴っていないひとのことをさすようになってきた言葉であると認識している。

当然のように苦手なタイプではあるのだけど、ぱっと考えたときに周りにはいるタイプではないのになぜここまで苦手意識をもつのだろうなと考えてみた。

まず、ポジティブな発言て苦手だ。もともと湿っぽい発言を主体としている僕なので相性が最悪なのは言うまでもない。そのうえ発言に対して実が伴っていないというのだからかっこわるい。そういうかっこわるさもなんだか見てられない。

ただ、かっこわるいというのも別ベクトルであれば好印象だったりするのでその部分だけで嫌悪感は抱かないだろう。

他には何かと考えてみたら自己顕示欲の過剰さも考えられる。これは特にSNSなどで見かけるタイプのひとなのだろうけど。

やってまっせーって感じが苦手だ。影ながら努力しろとは思わないけれど、努力してなさそうに見えて実はすごい、くらいのほうが評価高いんじゃないと思うのだ。結果が大事だし。

その点でいうと意識高いの系のひとは過程で自分をアピールしたいという思いが強いのだろう。言ってしまえば「がんばってる自分、いいでしょ!」に感じてしまうわけだ。少なくとも僕の目には。

やる気なさそうに見えてなんかやらせたらすごいという飄々としたキャラに憧れる僕からしてみれば暑苦しくてたまらない。

でも逆に考えれば意識高いひとは飄々としたひとのことをやる気のないひとと蔑むものなのだろうか。

意識が高かろうが低かろうが結局結果を出せるかどうかってところが大事なわけで、そういうところを考えてなさそうで出来る人間ぶって押し付けがましく振る舞うのがなんだか嫌なのだな。

書いててなんだかわかってきた気がする。

では僕の好きなタイプの人間といえばどんなタイプかといえばどうだろうか。

ひとに甘いし自分にもあまい。

勢いだけで行動している。

会話ができる。

酒が好き。

最後のはパーソナリティではないけど、結構ダメなひとが好きだ。

そして当然自分もダメ人間だ。

同じ穴のムジナってやつですよね。

意識の高いだの低いだのうだうだ言える立場じゃなかったっす。面目ない。