仕事がら結構な数のお客さんに電話だのメールだのと連絡をすることが多いのだけど、分母が大きくなればやはりはずれを引くこともたまにある。
いわゆるめんどくさいお客さんということだ。
他のお客さんと同様の対応をしても、こちらの対応に引っ掛かりを感じるらしく、つっかかってきたり、自分の中の常識が確立され過ぎていて、こちらの予想外のうごきをしたり。
僕はこれまでサラリーマンというものをやったことがなかったわけだけれど、ややこしいお客さんに接することがあると、サラリーマンなんてただの肩書きだなと思うのである。
だって、きっとずっとサラリーマンとして働いているであろうお客さん、しかも結構大手の企業のひとでも、人間としてのヤバさ全開なんだもの。
バンド時代の仲間内のほうがよほど人間できてたよ、と。
そう考えるとバンド時代はひとに恵まれていたのもあるのだろうけど、人間が出来ていないひとというのはコミュニティに属せなかったのかなとも考えた。
もっと言えば、才能も人間性も危うい人間は自然淘汰的に排除されるというか。
ただ、表っ面だけはよいというパターンもあるのでそこは要注意だったのだけれど。
そして、付き合う人間もある程度自分で選んでいたのもあるだろう。
だが、サラリーマンはそうはいかない。対峙するまで向こうがどういう人間かわからないし、はずれのひとかもわからない。
はずれを引いても仕事だし、相手をしなければいけないわけだ。
なんとなくなのだけど、はずれのひとってどんなひとにもはずれの対応をしているわけだろうから、私生活などすごいのではないかと思う。そしてなんだかくさくさした気持ちを仕事の対応などで鬱憤をはらすかのように放出し、うっとうしがられ、また私生活でくさくさするのだ。
負のスパイラルをきっと作っている。生産者だ。しかもいらないと思ってもガンガン出荷している。他人に。
やはり負の繁忙期もあることだろう。普通なら出荷に対して生産が追い付かないところ、スパイラル生産者はなぜか追い付いてしまい、出荷までこなしてしまうのだ。
出荷先はさばききれない負を抱えてしまう。そうして負の不法投棄につながる。法令違反だ。罰金だぞ。
ちゃんと生産者として責任もった生産してほしいですよね、ってなにいってるんだか自分でもよくわからない。
大人って大変なのかなということだけとりあえず考えておこうと思う。