普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

でこぼこ

職場のフロアがビルの上階の方なので、エレベーターを使わないとなかなか上るのがつらい。というかたぶんいまの僕にはあの距離を上るのは無理だ。

そういったわけでエレベーターを使うのだけれど、結構な人数を運ぶのに対して三基のみの設置なので待ち時間が発生する。

そして、待ち時間がわりと長めになったときに到着したエレベーターに乗り込むと「お待たせいたしました」とアナウンスが流れるのだ。

それに対し僕は毎回、待った待ったー。とか、そうでもないよ、などとを心のなかで受け答えしている。アメリカのホームドラマ風に。

それを同僚に話したところ(ホームドラマ云々以外のところを)、あのアナウンスは考えようによっては失礼では、との指摘であった。

停まった階からひとが乗ってくるわけで、そのひとが乗ったときにあのアナウンスがながれたらそのひとのせいで待たせたみたいなニュアンスになる、そしたらそのひとにとってあまり気分のよいアナウンスではないよね、とのことだった。

なるほど、そういう考え方もあるかと。

何事もどこかに気を使おうと思うとどこかにかどがたつというものなのかもしれない。

 

僕は基本的にあんまり気をつかえないタイプなのでかどがたちにくいというように考えればポジティブだな、うん。

 

考えてもみれば、そういった気をまわそうまわそうとしているひとほど空回りしてたりするものかもしれない。お店でのサービスなどもそうだろうし。

僕はこれまたそういったサービスが行き届きすぎているのは苦手だったりするのだ。なんだか申し訳ない気がして。

向こうは仕事なんだから気にしないでよいという意見もあるが、今のところはなんともならない。

逆に僕もサービスできない。求められたら出来る範囲で対応するけど、すすんで出来ない。もしかしたら押し付けがましいと考えてしまうからかもしれない。逆に、求めてないサービスを提供されても押し付けがましく感じているということか。

 

なんだか話がよくわからないけど、まとめるとエレベーターのお待たせいたしましたのアナウンス、いらなくない?

それにアメリカのホームドラマ風に受け答えするのもちょっとなしなんじゃない?

 

ということだ。