普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

名うてのプレイボーイばりのオールナイトロング

妻が産後のケア入院から帰宅した。妻が帰ってきたということは子も一緒である。子は”帰ってきた”わけではなく、”やってきた”ことになるのだな。ようこそ、両親の住処へ。

子が来ることを想定して日々生活していたつもりだが、いざ本当にやってくると違和感しかない。気づくとそこに子がいるのだ。不思議な感覚に陥る。幸せな違和感ということになるのだろうけれども。

午前には妻子を迎えに行って昼から家で過ごしていたのだけど、子は寝てばかりいる。新生児なのだからそんなものなのだろうけど、とにかく寝ている。目を開いている状態の顔を全然見せてくれない。仏の類か。赤ちゃんに対して「天使のような」などと形容することがあるが、それをいうなら我が子は仏だ。目を見開いたら世界の理が崩れるのかもしれない。存分に目を瞑っていてほしい。

とはいえ、心の片隅に少し嫌な予感は付き纏っていた。

(この子ったらずっと寝ているけれども夜もこの調子で寝てくれるもんなのかな…)

そう思いながら日は暮れていくのであった。

とっぷりと日も暮れた頃の我が子。もうギンギンである。やはりそう来るのか。これは今夜は寝かせてくれそうにない。名うてのプレイボーイもびっくりのオールナイトロングが繰り広げられるのであった。新生児なのだからそんなもの(2度目)と思い子の快適睡眠について模索してみたけどまだ全然わからない。慣れるか何かわかるかそのうちあると思うのでのんびりいこうと思う。

開けて本日。感覚的には友達の家に遊びに行ったときの翌日くらいの寝覚め感。夜更かしをして朝方まで過ごしてついに力尽きて2.3時間だけ本気のガッツリ睡眠をとったときのあの感じで目を覚ました。不思議と寝た感じのあるあの感覚だ。

今日は必要書類が揃わないことで延期となっていた出生届を提出しにいかなければいけない。子をオフィシャルに存在させるための大事な手続きを怠けるわけにはいかん。こうしてひとはしっかりしていくんだろうか。この先の人生何度かそういう瞬間が訪れて、死ぬ間際に僕は過去の自分を振り返って「誰ですか、あなた」くらいのことは思うのだろうか。

などと言いつつ、出生届を出す際に使用できる漢字外のもので書類を提出してしまい、係のひとをしっかり困らせたりしている。こんな調子なのでいつまで経っても僕は僕でしかないかもしれない。こういうの、働く側からしてみたらそういうしょうもないことするなと思われるかもしれないが、こちらからしてみたら意味も考えて絞り出した名前だったのでダメもとチャレンジくらいさせてほしい。でもすみませんでした、係のひと。人名漢字についてはたしか法務省かそこらの管轄だったと思うので、(絶対にないけど)この記事を見る関係者がいたらもうちょっと融通きくようにしていただきたい次第です。

結局元々使いたかった漢字を工夫した表記で届出するに至った。ぜったい1回で読んでおらえないな…難読ネーム誕生となってしまったのでした(キラキラ系ではないです)。ま、自分からぐいっと名乗るようなひとになってもらうということで折衷案としましょうや。そういったことでひとつよろしくお願いいたしやす。

なんか怖いことをさらっと書いってあった。注意、大事。

 

乙女心おじさん−乙女心=おじさん

いつぶりだかわからないくらい久しさぶりに月曜でありながら出社をしていた。月曜は顔がむくむので家で仕事してさっさと透析で除水をするというのがここ数ヶ月の定番だったのだけど、出社、しかも自主的に月曜に会社に行っていたのだ。

なぜか。明日から数日の間育児のために休むことになったのでまあ忖度というやつである。金曜も在宅勤務して月曜も在宅、そのままシームレスに休暇に入るというのはもっとも望むところではあったが、いちおう上司だとか同じ島の方々に直接挨拶できた方がよいのかなという判断だった。こういうとこ、古いタイプの日本人だなあと我ながら思う。

自分の割り切れてなさにどこか心のよどみを感じつつ1日を過ごしたわけだけれども、結果「会社行っておいてよかったー…!」となった。別に仕事を積んでいたわけでもなかったのに今日に限って紙を扱うことが避けられない業務が頻発したのだ。しかもかなりの大量の紙を。家にいてもPDF化(手作業)をお願いして、それ取り扱うこともできなくはないが、量も量だしそれをやってもらうのはあまりにも偉そうすぎる。昭和のOLだってそこまでコピーとってないわというほどには大量の紙を(今どき)さばく必要があったのだ。自分は家にいて現場の人間動かして思い通りにしようなんてどっかの総帥か。業務依頼ではなく指令っぽさすらあるな。

その大量の紙を隣の席の女性職員の方にチェックしてもらったのだけど、めちゃくちゃ早く数えながら同時に数カ所紙で手を切ってしまったらしく、ミステリーかつ事件性を感じる血塗れの書類を生み出していた。送ったけど(モノクロPDFで)。

 

そういえば今日、お祝いとして加湿器を渡される段取りとなっていたはずなのに渡されていないことを今思い出した。加湿器らしきものが職場に届いているのは横目で確認できたのだけど、自分で「どうももらえてないようなんですが…」などあつかましいにも程がある。ただまあ…タイミング的には今日あると助かったな…ま、忙しかったし仕方ない。もらえる立場で文句を言ってはいけない。いや、文句ってことではないわけですが。サプライズ感など一切なく、「何がほしいですか?」「では月曜に届くように」という僕にすべての段取りが見える形で進んでいたのでまさかの展開だった。

出社の証の欲にまみれた昼食

 

以前の記事にも書いたように月曜は顔がむくむからひとに会いたくないなんて乙女心おじさんなわけであるけれど、むくむというのはそれなりに水分を摂取した結果から招かれるものである。今日はそういった無用な乙女を発生させないために週末の水分摂取量をそこそこ我慢していたのだ。

そうしたら顔のむくみはほぼ発生しなかった。乙女心おじさんにならずに済んだのだ。乙女心おじさんと顔のむくみは切っても切れない。乙女心おじさんから乙女部分を取り除くとどうなるだろう。答えはそこにおじさんが残るのみだ。おじのみ。純然たるおじであった。うーん、行ってこい。

 

忙しかったしなんだか結局残業までしてしまったけど、透析に至ってちょっとした安心感をおぼえた。やはりどこか心に乙女はいたのかもしれない。

 

 

 

思い出のテレビとテレビの立ち位置

僕がこどもの頃というのは今よりだいぶテレビの影響力が強く、エンタメでありながらインフラでもあった。テレビのない家というのは何か事情のある家なんだなと暗に察するほどにはどの家にもテレビは設置されていた。

しかし、最近は「特に見ないから」という理由でテレビを設置していない家がちらほらあると思う。我が家もその中のひとつだ。これまではゲーム用のモニタとして利用していた(手持ちのモニタがゲームに対応していなかった)のだけど、仕事用のモニタを購入したところ、そのモニタで現在のゲームは全て対応できるというのでいよいよテレビの出番がなくなった。

しかしこのテレビ、なかなかにして思い出深いテレビなのだ。

それはまだ地デジが完全に整備されていない頃。テレビCMでは地デジカなるデザインの根拠がわからないキャラクターが跋扈し、女子アナたちが局をまたいで共演し地デジ推進を促していた。

その頃の僕はゴリゴリの現役バンドマン。当然お金がない。地デジ化の話をCMで見るたび「地デジとかっていうけどさ、テレビ買い替えるお金なんぞないよ。テレビ放送とも別れの時期がきたか」とふてくされていた。

しかし世の中なんとなるようにできている。なんだかんだあってテレビを購入するだけの金額を都合することができたのだ。その当時液晶テレビはまだ高い。たしか15万円くらいした。当時の僕なら頑張れば2ヶ月は暮らせる金額だ。いまその金額出せば余裕で4Kのテレビが買うことができる。ちなみに同性能程度のものは今3万円くらいだ。

そんな大枚はたいて買ったテレビである。おいそれとは捨てられない。いや、捨ててはならない。企業で言えば会社を大きくした立役者を「特にやることなくなったんなら辞めてもらえます?」と言い渡すようなものだ。言えます?言えないでしょう。外資系企業じゃあるまいし。外資のこと全然知らないけど。

なので捨てるという選択肢は除外。じゃあどうするか。”別荘”にでも行ってもらいますか、という結論に至った。今の家は収納が少なめで荷物(主に僕の)がすべての収納に収まりきらないと判断し、近所の手頃なレンタル倉庫を借りたのだ。そこにのんびりと余生を過ごしてもらおう。"別荘”という言葉で刑務所を想像しがちだけどちゃんと別荘なはずだ。ただ、何の仕事もなくひたすら鎮座し続けることが果たしてテレビ氏にとってどう捉えられるかだけれど…

テレビ氏の去った我が家。少し前の記事でも触れたように動画サイトなりサブスクで気になった動画を視聴している。そこで思ったのだ。冒頭で述べたように僕がこどもの頃はテレビがないことは考えられなかったし、見たい番組もそれなりにあった。とはいえ、なんだかんだで見たい番組と番組の間にそう興味のない繋ぎ的な番組が放送されるのをうつろに眺めたりしていた時間が存在した。

それがネットで動画を見るという行為になると完全に見たいものしか見なくなる。絶対にないとは言わないが”なんとなく流している”がほぼない。気になるものがあれば何話でも一気見し、同じ作品しか見ていない時期もある。ものすごく便利でありながらどこかデカダンなものを感じないだろうか。まあ僕が一抜けしただけでいまだにテレビが一定の影響力を持っているのは事実なのだろうけど、90年代くらいまでとは別物にはなってきていると思う。

なんだかテレビに対してやたらシニカルな内容になってしまった。別にテレビのことが嫌いとかそういうのではないです。ただ、ゴールデンタイムのバラエティ番組の番組の作りとか、その作りに従うしかない若手芸人のテンションとか、たまに見かけると「おわ…」とちょっと引いてしまうところはある。

全局、全放送がタモリ倶楽部みたいな内容とテンションだったら確実に再びテレビ氏を家に招き入れることだろうな。そんなディストピアのようなユートピア

別荘に鎮座するおテレビ様(手前)

 

ラーメン1杯食べにいくのにそれなりの葛藤あり

昨日は1週間ぶりの出社。子が生まれて初の出社であったため仕事で関わりのある方々からお祝いの言葉をもらう。子が祝福されて嬉しい。まだ産後1時間くらいしか会えてないけど。

何はともあれ出社日である。以前から主張し続けているように出社の醍醐味はお昼ご飯である。今の家の周りは昼休みに徒歩で行けるような範囲での飲食店はかつてここらいで飲食店狩りでもあったんじゃないかなというくらいに皆無なので、会社周辺の飲食店の多さを出社時に楽しむのは正しいお作法であると言えるのだ。

仕事もそこそこにお昼を迎える。まだいくお店は決定できていない。前日に夜更かしをしてしまった影響で若干食欲に不安がある。脳では濃い味おかずでがっつり白米を求めているのだけど、僕は知っている。この欲望に任せて中華とか、あまつさえとんかつ屋などに行ってしまおうものなら、心のそこから待ち望んだ至高のおかずたちを食べ始めて3口くらいで「あ…まずいぞ」と思い、半量食べない頃には「おなかいっぱい…ごめんんさい、ごめんなさい…!!」となる。

僕も四十路。いい加減自分が悲しい生き物になっていることは自覚してきた。ここはきちんとハンドルを切って安全運転といこうじゃないか。

がっつり白米実行不可能であるときの対応策もまた僕は知っている。麺だ。こういうときは麺に限る。と、これで家系豚骨醤油ラーメンに流れてしまいがちであったのが少し前までの僕だ。しかし思い知らされた。がっつりいけねえってのにそんな油っこいのいけるわけねえでしょ、と。少し考えればわかる理屈なのだけど、まだいけると信じたい自分がいたのだろう。

繰り返すが僕は四十路。幻想は捨てよう。方向性は麺。目指すはさっぱり。そうなるとかなりお店は限られてくる。そこまでフィルターがかかったところで思い出した。

近所に鯛だしラーメンを出すお店があって、そのラーメンがけっこう美味しいらしい。だけど少し量が少なめなのでそれが難点であるという。鯛だしということはスープはうしお汁に近いものだろう。こってりする要素がない。そのうえ量が少ないというのはこの時の僕にとっては有利な条件でしかない。半ば勝利を確信し鯛だしラーメン屋に向かった。

お店に到着。入店するやいなや魚介臭の洗礼を受ける。思っていたのとなんだか違うような気がするけど、イカも煮てるときのにおいはどうかと思うけど食べるとおいしいのでその現象に期待することとした。

お店は女性ひとりで切り盛りされており、カウンターにはエプロンや髪留めが設置されれており、女性に寄り添ったお店なのだなというのが見てとれた。量が少なめというのも女性にとってちょうど良い量を目指した結果なのかもしれない。そういうお店は少なそうだし、良いことだと思う。何より量は僕みたいな狭小胃袋人間には助かるなあ。

ラーメンを待つ間にもお客さんが次々と訪れていた。その中の女性客に向かって店主が「こんにちはー」と声をかけた。

店主「今日はお仕事ですか?」

客 「ええ…まあ…」

店主「この間はどうも!なんだか色々ごちそうになっちゃって!」

客 「あ…はぁ…、いや、あの、このお店初めてで…」

店主「ごめんなさーい!!」

という聞いているこちらが赤面しそうなやりとりが展開されていた。しかし華麗すぎるひと違いであったため1周回って清々しさすらあった。ちなみに店主はその後に来店したお客さんにも話しかけていたりしていたので物怖じしないタイプの性格のひとなのだろうな。羨ましい性格。

そんなひと違いラーメンがこちら。

ひとは間違えてもラーメンはきちんと出てくる

大勝利の味がした。鯛って骨だけ煮ても相当なうまみの詰まった汁が出来上がるのでそれを他のダシ(たぶん貝とか)まで加えて調整してるのだろうから負けるわけがない。不敗伝説更新である。量に関しては個人的に少ないとは思わなかったけど、何しろお店を教えてもらったのが元ラガーマンおじさんだからな。東京ドームでストレイテナーのライブやるようなもんだよな。動員可能人数と会場キャパの乖離がすぎる。そこを言うと僕のキャパはリキッドルームくらいなので実にちょうど良い。わかりにくい喩えで申し訳ねえ。

こうして無事ちょうどよい量の昼食を食べ終え、オフィスに戻りラガーさんに「鯛だしラーメン、おいしかったです!」と報告することで脆弱胃袋制圧作戦完遂となった。

1回お昼ご飯食べるのになにをごちゃごちゃ言っているのかと思われてしまうかもしれないけれども、量を食べられなくなってくると1食の価値というのは必然的に上がってくるというものだ。味濃いおかずで白米をわしわし食べたいという憧れを心に抱きながら。

 

最高の素材をそこそこの調理で提供できたらよき文章なのでしょうな

今週のお題「日記の書き方」を見て、ブログ自体はそこそこ続いているけれども自分の場合「日記」かっていうとそこまで日記でもないと思えた。ただ、やっぱりその日にあったこと、思ったことを記録していればやはりそれは日記なわけで、それをコンテンツ化できているひとがいるというのもまた事実。むしろ僕はそういうものに憧れてブログを続けている側面もあると思う。

書き方というほど大袈裟なものではないのだけど、僕の場合は出来事に対しての思いをアウトプットしているというごくオーソドックスな書き方だ。しかし”出来事”という素材を調理はしている。日々色々な出来事は起こってはいるものの、何もかもがそのままひとに提供しておいしい(面白い)というものでもない。最高の素材は生でもいけちゃうかもしれないけど、火を通したり味をつけたりと手を加える必要はあるわけで、場合によっては特定のひとが好みそうな味付けにすることだってある。

出来上がったものがきちんとおいしいのかどうかはもう自分でわからなくなっちゃってる場合も多々ある。リアルに料理していても味が決まらなくて結局オイスターソースいれときゃいいんだよみたいになることあるじゃないですか。そんなことになるならと最初からポン酢かめんつゆにごま油たらしとけば失敗はしないよねという話になってしまうと思うのだけど、それは”いかがでしたかブログ”みたいなことなのだろうな。それをやれば誰だって同じものが出来上がる、けどそれ料理って言わないじゃんみたいなことで。

やっぱりそれなりにオリジナリティがあるものを提供したい。僭越ながらそんなことを思いながらでやらさせていただいております。この場合味付けというのは書き方のことになるのだと思うので、素材は出来事ということになると思う。味付けに関してはオリジナリティを出していくのは村上春樹クラスでないと難しいと思うので、もう素材で勝負するしかない。ひとがあまり食べないものを調達してきてどうにか食べられる状態とするのだ。ほら、つくしだって甘辛く煮てしまえば食べられたでしょう。あのノリでね。

とはいえ、素材は使えばなくなる。日々のストックというのはできるだけしているつもりだけど、アウトプットを続ければそのリソースは尽きる。メモをとるなどして「これはいけるかも」とネタ帳のように書き溜めているのだけど、「なんでこれいけると思った?」というようなメモも少なくない。食材で言ったら「食えるわけねえでしょ」レベルのメモなのだ。火を通したらいけっかなじゃねえ。それ食ったら死ぬぞ。

結局ほぼ毎日その日の素材でブログを書いているかもしれない。”その日思ったこと”を書くことだって立派な日記なのだからそれで良いとは思っているけれども。

ただね、結局のところどれほど「おいしくできました!」と思ったところで食べてもらえれなければそれは何もできなかったのと一緒なわけで。そして「おいしい」って言ってもらえれば次へのモチベーションに繋がるわけなんですな。

それはまあ有名人でもインフルエンサーでもなんでもない僕のたわごとにも近い当ブログが爆発的に拡散するようなことはないし、むしろ会社バレとかしたら面倒なのでそれはなくてよいのだけど、”好きなひとは好き”くらいの出がらしのお茶(2回目)的ポジションでやっていこうかと思いますのでここはひとつよろしくお願いします。

今日のお昼ご飯。素材の強さでなんとか乗り切るウインナー(シャウエッセン)定食

 

心によどみなく我らが子に幸あれとしか思えない

やっぱり書かずにはいられない。

 

我らが子、爆誕!!

嬉しすぎてピントもぼける

昨日(2022年12月8日)夕方、この世にやってきた我らが子。このときをどれほど待ち望んでいたことか。人生でこれほど嬉しいことってそうないんじゃないかと本気で思える瞬間だった。でも今日アーマードコアⅥの発売発表があって早速同じくらい喜んでしまったわけですが。いや、本気で待ってたんですよ、アーマードコアの新作。フロムソフトウェアには感謝の言葉しかない。

と、危ない危ない。そんなことより赤子だ。フロムへの感謝以上に妻へも感謝だ。頑張ってくれてありがとう。厚くお礼申し上げる。そして生まれてくれてありがとう、子よ。

出産にあたって立ち会い出産をしたのだけど、こう言って良いのかどうか迷うところではあるが”壮絶”という言葉が出産中ずっと頭の中から拭えなかった。生命が誕生するのだから簡単なことであるはずがないとどことなく理解しているつもりではあったけれど、聞くと見るではまるで違う。現場は熾烈を極めた。

妻曰く、とにかく陣痛による痛みに次ぐ痛み、痛覚以外機能していないんじゃないかというくらいの痛み、それとその痛みが襲ってくるという恐怖しか感じなかったという。これまで見てきた感じ、妻は痛みに強いほうなのではないかなと思っていたのでその妻があれほど苦痛を感じ、苦悶の声をあげていたのだから想像するに余りある痛みであったことが窺い知れる。

そうは言っても助産師さんや医師の話によるとわりと一般的、なんなら結構スムーズに出産ができた方という話であった。あれで普通って難産の方とかどうなっちゃうんだ…世の母が強いと言われるけど、強くなければ子を産めないのだなとつくづく思う。どんなひとでも母であるということはあの現場を経験しているということになるのだ。反抗期のお子さんには出産シーン見せたらいい。黙ること請け合いだ。

実のところ立ち会い出産に若干の抵抗を感じていた部分はあるのだけど、結果として立ち会ってよかったと心底思えている。出産がどれほど大変なものかわかったし、苦痛を乗り越えて子に出会っているのだというのを間接的ではありながらも感じることができた。そして生まれた瞬間の喜びは一入だ。その感情も夫婦で共有できる。それぞれの考えがあるので誰もが立ち会いして欲しい、したいとは思わないかもしれないが「なんとなくしない」で立ち会わないのはもったいないと思う。今はコロナやらなんやらで立ち会いが難しいこともあるのでしたくてもできないということも往々にしてあるのだろうけど。とりあえず僕はおすすめしときます。立ち会い出産。

こうして妻を含め様々なひとびとの苦労と手助けによって生まれ出でた我らが子。親からしてみたらかわいさしかないのだけど、噂に違わぬガッツ石松ぶりを発揮していた。全体的にむくみ気味なのだな、あれは。そりゃまあ羊水に浸かりきりなのだからむくみもする。生まれたての我らが子の足は足湯に浸かりすぎたときのそれに似ていた。徐々にシュっとしてくるのだろうから、その変化もまた楽しみである。それにしても出産を経験したひとはガッツ石松を見た時にこっそり(我が子のようでかわいい…)と思ってしまったりはないんだろうか。ないね。

子に毎日頬擦りしたくて仕方ないのだけど、コロナの影響で面会が一切できず、昨日の産後直後以来、子に会えていない。それどころか退院まで会えない。コロナめ。ひとの家庭にちょっかい出すんじゃないよ。病院という場所柄少し神経質と思うくらいの対策は仕方ないのだろうけど。病人と老人が地域で最も集まっている場所なのだし。

なにはともあれ、子の人生に幸あれと祈らずにはいられない。祈るだけでなく行動で示して生まれてよかったと思ってもらいたい。そしてそのうちその感謝の気持ちを袖の下であらわしてもらおう。

 

 

アミューズメント施設≠”ゲーセン”

この間散歩していたとき、久しぶりにゲームセンターを見かけた。アドアーズみたいな”アミューズメント施設”ではなく、いわゆる街のゲームセンター、もっと言ってしまえば昭和のゲーセンといった空気をまとったそのそれである。

実際にお店に入ったわけではないのだけど、圧倒的「そのそれ」感を醸し出していることはこの画像でわかってもらえるかと思う。

健全さのないたたずまいが正に昭和

どうだろう、この不健全さ。あまり若いひとには分かりづらいかもしれないのだけど、昭和を生きた人間であれば感じることができるだろう、この階段にたむろする制服姿のヤンキーを。今はそんなことはないけど、かつてここはそういう不良の溜まり場だったに違いない。かつてのゲームセンターというのはそういう場所だったのだ。それをこのゲームセンターからはむんむん感じる。

たぶん店内は薄暗い。そしてクレーンゲームの類のものが入り口に申し訳程度に設置されており、少し進むと格闘ゲームの数々。その奥にはメダルゲームのスロット、そして最奥には脱衣麻雀が設置されているに違いないのだ。そしてそこには違反制服を身に纏ったリーゼントのヤンキーがいる。くわえタバコで下品な笑い声をあげながら。

昭和か。

いや昭和ってこうだったんですよ。コントかと思うような世界観が現実にあったのだから夢でも見ていたのではないかという気分になる。さすがにこの店内はきちんと令和であるだろうけど、隠しきれない昭和感はところどころに感じさせてくれることだろう。入店していないんですけどもね、僕。

ゲームセンターといえば専門学校を卒業してすぐにゲームセンターでバイトをしたことがあった。このゲーセンと同じタイプの匂い立つ昭和ゲーセンで。そのゲーセンは家族で営まれており、3兄妹が現場責任者として勤務していた。

・長男

 店長。サッカーが好きで週末となると子供を連れてフットサルだのなんだのをやっていたっぽい。店内で気に入らないことがあるとすぐテプラで注意書きを作る。

・次男

 見た目が体育教師。制服を着て勤務しているのに上が白ポロシャツ、下はジャージという姿がくっきりと見える。話の節々にガチロリであることがうかがえた危険人物。

・末娘

 昭和っぽいヤンキー姉さん。変な柄のセーターとか着てた。僕が夜勤なのに対して彼女は日勤しかやっていなかったのでほとんど絡みはなかった。

以上が3兄妹のキャラである。当時僕が住んでいた街は栄えていたほうではないのでその規模の街にいそうな郊外のおじさんたちといったところだろうか。

仕事が嫌だったわけではないのだけど、店長がとにかく口うるさい人間で何かというと作業に口を出してくるのが嫌で仕方なかった。我慢の効かなかった当時の僕は「その意見の正当性ある?」的な反抗の仕方をし、店長もボルテージあがってきてしまって口論のようになって「そんじゃあ辞めますわ!」と勤務1ヶ月くらいで辞めてしまった。若さだねえ。

ゲーセンにはそんな思い出もあるので、冒頭の街のゲーセンを見かけて無視できなんだ。このゲーセンでもかつての僕のような若者がイキっているのかもしれない。店長かわいそう。