普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

乙女心おじさん−乙女心=おじさん

いつぶりだかわからないくらい久しさぶりに月曜でありながら出社をしていた。月曜は顔がむくむので家で仕事してさっさと透析で除水をするというのがここ数ヶ月の定番だったのだけど、出社、しかも自主的に月曜に会社に行っていたのだ。

なぜか。明日から数日の間育児のために休むことになったのでまあ忖度というやつである。金曜も在宅勤務して月曜も在宅、そのままシームレスに休暇に入るというのはもっとも望むところではあったが、いちおう上司だとか同じ島の方々に直接挨拶できた方がよいのかなという判断だった。こういうとこ、古いタイプの日本人だなあと我ながら思う。

自分の割り切れてなさにどこか心のよどみを感じつつ1日を過ごしたわけだけれども、結果「会社行っておいてよかったー…!」となった。別に仕事を積んでいたわけでもなかったのに今日に限って紙を扱うことが避けられない業務が頻発したのだ。しかもかなりの大量の紙を。家にいてもPDF化(手作業)をお願いして、それ取り扱うこともできなくはないが、量も量だしそれをやってもらうのはあまりにも偉そうすぎる。昭和のOLだってそこまでコピーとってないわというほどには大量の紙を(今どき)さばく必要があったのだ。自分は家にいて現場の人間動かして思い通りにしようなんてどっかの総帥か。業務依頼ではなく指令っぽさすらあるな。

その大量の紙を隣の席の女性職員の方にチェックしてもらったのだけど、めちゃくちゃ早く数えながら同時に数カ所紙で手を切ってしまったらしく、ミステリーかつ事件性を感じる血塗れの書類を生み出していた。送ったけど(モノクロPDFで)。

 

そういえば今日、お祝いとして加湿器を渡される段取りとなっていたはずなのに渡されていないことを今思い出した。加湿器らしきものが職場に届いているのは横目で確認できたのだけど、自分で「どうももらえてないようなんですが…」などあつかましいにも程がある。ただまあ…タイミング的には今日あると助かったな…ま、忙しかったし仕方ない。もらえる立場で文句を言ってはいけない。いや、文句ってことではないわけですが。サプライズ感など一切なく、「何がほしいですか?」「では月曜に届くように」という僕にすべての段取りが見える形で進んでいたのでまさかの展開だった。

出社の証の欲にまみれた昼食

 

以前の記事にも書いたように月曜は顔がむくむからひとに会いたくないなんて乙女心おじさんなわけであるけれど、むくむというのはそれなりに水分を摂取した結果から招かれるものである。今日はそういった無用な乙女を発生させないために週末の水分摂取量をそこそこ我慢していたのだ。

そうしたら顔のむくみはほぼ発生しなかった。乙女心おじさんにならずに済んだのだ。乙女心おじさんと顔のむくみは切っても切れない。乙女心おじさんから乙女部分を取り除くとどうなるだろう。答えはそこにおじさんが残るのみだ。おじのみ。純然たるおじであった。うーん、行ってこい。

 

忙しかったしなんだか結局残業までしてしまったけど、透析に至ってちょっとした安心感をおぼえた。やはりどこか心に乙女はいたのかもしれない。