普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

思い出のテレビとテレビの立ち位置

僕がこどもの頃というのは今よりだいぶテレビの影響力が強く、エンタメでありながらインフラでもあった。テレビのない家というのは何か事情のある家なんだなと暗に察するほどにはどの家にもテレビは設置されていた。

しかし、最近は「特に見ないから」という理由でテレビを設置していない家がちらほらあると思う。我が家もその中のひとつだ。これまではゲーム用のモニタとして利用していた(手持ちのモニタがゲームに対応していなかった)のだけど、仕事用のモニタを購入したところ、そのモニタで現在のゲームは全て対応できるというのでいよいよテレビの出番がなくなった。

しかしこのテレビ、なかなかにして思い出深いテレビなのだ。

それはまだ地デジが完全に整備されていない頃。テレビCMでは地デジカなるデザインの根拠がわからないキャラクターが跋扈し、女子アナたちが局をまたいで共演し地デジ推進を促していた。

その頃の僕はゴリゴリの現役バンドマン。当然お金がない。地デジ化の話をCMで見るたび「地デジとかっていうけどさ、テレビ買い替えるお金なんぞないよ。テレビ放送とも別れの時期がきたか」とふてくされていた。

しかし世の中なんとなるようにできている。なんだかんだあってテレビを購入するだけの金額を都合することができたのだ。その当時液晶テレビはまだ高い。たしか15万円くらいした。当時の僕なら頑張れば2ヶ月は暮らせる金額だ。いまその金額出せば余裕で4Kのテレビが買うことができる。ちなみに同性能程度のものは今3万円くらいだ。

そんな大枚はたいて買ったテレビである。おいそれとは捨てられない。いや、捨ててはならない。企業で言えば会社を大きくした立役者を「特にやることなくなったんなら辞めてもらえます?」と言い渡すようなものだ。言えます?言えないでしょう。外資系企業じゃあるまいし。外資のこと全然知らないけど。

なので捨てるという選択肢は除外。じゃあどうするか。”別荘”にでも行ってもらいますか、という結論に至った。今の家は収納が少なめで荷物(主に僕の)がすべての収納に収まりきらないと判断し、近所の手頃なレンタル倉庫を借りたのだ。そこにのんびりと余生を過ごしてもらおう。"別荘”という言葉で刑務所を想像しがちだけどちゃんと別荘なはずだ。ただ、何の仕事もなくひたすら鎮座し続けることが果たしてテレビ氏にとってどう捉えられるかだけれど…

テレビ氏の去った我が家。少し前の記事でも触れたように動画サイトなりサブスクで気になった動画を視聴している。そこで思ったのだ。冒頭で述べたように僕がこどもの頃はテレビがないことは考えられなかったし、見たい番組もそれなりにあった。とはいえ、なんだかんだで見たい番組と番組の間にそう興味のない繋ぎ的な番組が放送されるのをうつろに眺めたりしていた時間が存在した。

それがネットで動画を見るという行為になると完全に見たいものしか見なくなる。絶対にないとは言わないが”なんとなく流している”がほぼない。気になるものがあれば何話でも一気見し、同じ作品しか見ていない時期もある。ものすごく便利でありながらどこかデカダンなものを感じないだろうか。まあ僕が一抜けしただけでいまだにテレビが一定の影響力を持っているのは事実なのだろうけど、90年代くらいまでとは別物にはなってきていると思う。

なんだかテレビに対してやたらシニカルな内容になってしまった。別にテレビのことが嫌いとかそういうのではないです。ただ、ゴールデンタイムのバラエティ番組の番組の作りとか、その作りに従うしかない若手芸人のテンションとか、たまに見かけると「おわ…」とちょっと引いてしまうところはある。

全局、全放送がタモリ倶楽部みたいな内容とテンションだったら確実に再びテレビ氏を家に招き入れることだろうな。そんなディストピアのようなユートピア

別荘に鎮座するおテレビ様(手前)