普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

お酒+ライブ=楽しい の極地

はてなブログ今週のお題「夏の思い出」を見て、真っ先に思い出したのが「ビール祭」である。語感が完全に安居酒屋チェーンのそれであるが、そうではない。

あれは確か2008年。当時活動していたバンドで「バンドで何か楽しいことがしたい」という思いに駆られ、「みんなでお酒を飲む」+「ライブ」=最高じゃないかっ!という何の捻りもない単純明快な図式によって導き出された、いわば自分のバンド主催のフェスなのであった。

通常、バンドが主催イベントを行うとなるとライブハウスを借り切って行う行うわけだが、当時の僕は良くも悪くも頭が悪かったので「ビールを飲むなら日中屋外!」という部分を譲れなかった。

そんな面倒なことを言っている輩の計画は頓挫するものだが、都合よく自分の住んでいる隣町に野外イベント用のステージがあることを知った。この当時はまだインターネットとかそこまで整備された時代じゃなかったから、たぶん他のバンドがきちんとした音楽イベントをそこでやっているのを見て、それならうちらもとなったんじゃないかと思う。なにぶんもう16年も前だとこのあたりの記憶かっすかすですな。

こりゃいけると管理事務所に電話をし、ステージを利用したい旨を告げたところ、「では企画書を提出してください」と言われた。

「キカクショ…?」

今となればそういうものが必要になってくるのは当たり前に理解するが、当時僕は野生のバンドマンだったのでそういうきちんとしたものにはとんと縁がなかったのだ。

そうは言ってもそれがないと貸し出されないというのであれば書くしかない。コピー用紙みたいなものに企画の趣旨とか見込み動員数とかそんなことを書いたんだったんじゃないかな。あまり覚えてないけど、チラシの裏にだってもっとマシなもん書くわというくらいに粗末な企画書だったと思う。それをよくまあ恥ずかしげもなく提出したよなと今なら思える。というか、管理事務所のおじさんもあれでよく貸し出したな。

経緯はともかく貸し出してくれたらあとは本番を楽しむのみである。当日を迎え、酒の準備に走った。ちなみにこの日の酒代は全部僕らのバンド持ちということでやっていた。もう何も考えずにべろんべろんになってもらってただただひたすら床のシミになろうの会でもあったのだ。20代の頃の酒リテラシーの低さがうかがえる。あとは時代もあったんでしょうけど。今そんなことやったらハラスメント一直線だろうし。

近所のディスカウントストアでひととおりの酒類を調達したその帰り道、空の元栓ぶっ壊れたんじゃないかなというほどの大雨が降り注いだ。どれほどだったかといえばあっという間に道路が冠水するほどだったので今考えても相当な雨量だったと思う。ただ、今で言うところのゲリラ豪雨というやつで、量はともかく時間にしたらそう長い時間ではなく、雨上がりを待ちなんとか体裁を整えて乾杯(開演)に漕ぎ着けた。

1バンド目が始まってほどなく、携帯電話に着信が。

「音がでかすぎます。音量を下げてください。」

管理事務所が許容する音量を秒で超えていたということである。事前にも何デシベル以上音が出ませんよね?みたいな確認はされていたが、そんなもんまあ適当に答えておきゃ大丈夫だろと高を括っていた。しかし実際は観客席最後方で騒音計を持ち粛々と音量を測定する管理事務所のおじさんがいたのだった。そしてこの日出演していた面々はわりかしゴリっとした音楽的指向の決して音量の小さくないバンドばかりだった。良いバンドが揃ってましたよ。

これも今考えればそりゃそうよねという話なのであるが、その当時の僕はそこまで考える頭を持ち合わせてなく、ただひたすらに謝り続けることでその場をしのいだ。いちおう出演者の皆さんにも音量を気持ち抑えめでお願いしたい旨を伝えはしたが、そこは皆さんロケンローの魂をお持ちでらして、「あん?そんじゃあいつも以上にやったらぁ」という火に油を注いだ形となった。

そんな状況だったものだから、ひっきりなしに電話は鳴り響き、その場しのぎの謝罪を続けると言う悪夢のような時間は続いた。だがしかし、状況が変わる瞬間が訪れる。

この日は僕がいちおうの責任者でありながら、同時に出演者でもあった。僕らのバンドの出番が回ってきたのである。これまでの状況はともかく、ステージそのものは楽しみたいし、みんなにも楽しんでもらいたいしでめちゃくちゃ楽しいライブであったのを今でも覚えている。自画自賛だけど、良いライブだったよ、ほんと。

しかし現実はそんなこと言っている場合でもなく、ライブ終わりに携帯電話を確認したらヤンデレ彼女だってもうちょっと遠慮するだろくらいに着信履歴が積み上げられていた。発信元は当然管理事務所のおじさんである。

さっきまではいちおう電話に出ては謝り倒すという何の解決にもならないながらも直接的な対応はしていたが、ライブ中となるとさすがにそうもいかない。鬼電の果てに留守番電話が残されており「これ以上この音量が続くようなら主電源ごと落としますからね!」という最後通告まで入っていた。あっぶな。

自分のライブ直後に即ごめんなさいの電話を入れ、ひとまず最悪の事態は逃れた。とはいえ、ライブはまだまだ続くわけで根本的には何も解決しないままその後もおじさんと僕のホットラインは強固なまま衰えることはなかった。

その後もライブ本編でエモい展開などありつつ、終演を迎えるライブ。最後に精算するためだったかなんだったかで管理事務所を訪れなければならないことになっていた(当たり前)。本番中あんなことになっていたし、おじさんにお灸を据えられるんだろうなあとしょぼくれながら管理事務所に行ってみたところ「はい、じゃあおつかれさんでした」と、明日もよろしくねくらいの感じのおつかれさんでしたで祭りは幕切れとなったのであった。おじさん、面倒が過ぎればとりあえず良いかというタイプのひとだったんだろうな。その節はご面倒&ご迷惑をおかけしてすまなんだ。

その後、昼に散々飲んだってのにじゃあ打ち上げいきますかーって言って夜の街に繰り出していったのも若さでしかないよなあと遠い目になってみたり。あの頃は打ち上げまでがライブみたいな気持ちでやってたからな。

 

生まれたばかりの子どもがどう接していいかわからないくらいに成長する程度には時が経っているけれども、僕の夏の思い出といえばこれかな。夏って思い出機能にブースターがかかる感じしませんかね。

こんな感じの雰囲気だったような気がする