夏の終わりが訪れた。建物から出たときのムワッとする感じが一切なくなり、なんなら肌寒さすらある。終わりの始まりという情緒に溢れた夏の終焉には出会うことなく、スイッチを切り替えるようにドライに夏は去っていった。
そうなってくると変わってくるのが出社時のお昼ご飯事情である。真夏の炎天下の中、歩いて5分以上の距離のお店に旅立つのは自殺行為であるが、このくらいの時期であれば徒歩10分程度の遠征ができる。
昨日など遠征にうってつけの気候であったところにこれまた都合よく職場のグルメさんからお声がけいただいた。なにやらあんこうを食べに行こうとの由。これまでの人生でお昼ご飯にあんこうを食べたことなどない。ふたつ返事でOKした。
相変わらずの軽歩なグルメさんに対して鈍歩がすぎる僕。ほぼ小走りでグルメさんに追従し、初めての昼あんこう会場に辿り着いた。
お店はあんこう専門店で老舗も老舗。天保元年創業だという。もはや古い以外に何も伝わらないくらいに古い。天保元年を調べたら1830年らしい。今から200年くらい前だ。長いこと営業していること自体すごいとは思うのだけど、それよりもそんな頃からあんこう専門で商売をしていたというのが人生勝負しているなという感じがして魂が震える。真面目な話、輸送とかどうしていたのか気になる。海運でなんとかしていたんだろうか。
趣しかない玄関を経て、2階に案内された。
完全に平日のお昼ご飯の風景ではない。平日お昼ご飯にこの景色があるのだとしたら風邪を引いておばあちゃんちに預けられたときの昼食どきである。いや、そんな台無しかつエモい話ではなく良さに次ぐ良さが押し寄せるナイスシチュエーションである。
このシチュエーションを最大限に活かし切るにはこのお店おすすめの料理を食べるというのが最もクレバーな手段であろう。ランチメニューの一番上に燦然と輝くあんこう柳川御前とすることとした。新さんま御前とかもあったけど、ああいうのを頼むひとはハンバーグのさわやかでしらす雑炊を頼めるタイプのひとである。それかあんこうが苦手なひとが頼むとか。でもあんこうくらいにニッチな食材を食べにくるのにわざわざ苦手なひとを連れてくるなんてその人間関係は確実に拗れているものであるに違いない。
繰り返しになるが、平日の会社員がランチに訪れるようなお店ではなく、僕ら以外は「お出かけのお昼ご飯」といった雰囲気でランチを楽しむひとが大半を占めていた。そして、僕の後ろに座っていた初老の男性は部屋の隅の窓際の席に座り、あんこうのコースを楽しみながらお酒を楽しんでらっしゃった。あんな人生でありたい。
待ち侘びた御前が到着。
この日が涼しくてよかった。ぐっつぐつの柳川を喜んで頬張った。ちなみにご飯は一緒に運ばれてくるおひつから食べたい分をよそうスタイルで、これが本当によかった。不意のご飯大盛りによって悲しみにくれることもないし、食べたいひとが食べたいだけ食べるという良さしかないシステムだ。全飲食店が採用すべきとけっこう本気で思った。
あんこう自体そんなに主張のある風味ということもないので柳川に放り込まれたあんこうは柳川色に染まっており、米泥棒として僕らのランチタイムに君臨した。おいしゅうございました。
よきランチタイムを過ごせた日の午後は上機嫌である。機嫌だけ良くて何をして過ごしていたのかいまいち覚えてないけど次の日の自分が困ることない程度には仕事をこなした。
ほんと、グルメさんとのご飯はボーナスステージである。