普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

当たり前に来る明日なんてないのだなあ、と

BUCK-TICKの櫻井さんが亡くなってしまった。哀悼の意を表すとともに、ご冥福をお祈りします。

普段、しめっぽい話題は多いながらも極力ネガティブな感情はあまりこのブログに書くようなことは避けていたのだけど、今回のことに関してはちょっとスルーできないので自分の気持ちの整理も込みで思いを綴らせてもらえればと思います。

こう言ってしまうと薄情なのだけど、これまで著名人の訃報を聞いても少しの悲しみと残念だなと思う気持ちは生まれても大きく感情が揺さぶられることはなかった。所詮他人事、そのくらいの気持ちでいたのだと思う。共感力低いんでしょうね。

でも櫻井さんの訃報は違った。情報を知った瞬間は仕事中だったのだけど、激しく動揺し、動悸もしたし少しの間仕事が手につかなかった。

櫻井さんだって他人そのものなのに、なんなんだろうこの喪失感は。もうライブを見れない、新たな歌声を聴くことができないと思うと悲しいで片付けられないモヤモヤした感情に支配される。

櫻井さんはライブ中に体調が悪くなり搬送され当日に亡くなってしまったという。当日ライブ前の状況がどんな感じだったかまでは知らないけれども、本人だって自分が今日死んでしまうなんて思っていたわけがないと思う。

家を出るときにいつものように家を出て、ライブのことを考えて、ライブが終わったらお酒を飲もうと考えていたりしたかもしれない。BUCK-TICKはデビュー35周年というから、家を出て、ライブをしてというのはある意味日常だ。その日常をつつがなく過ごすつもりしかなかったのに、それがいきなり絶たれてしまった。そんな櫻井さんの状況を考えると心が締め付けられる。

57歳で亡くなってしまったのは確かに早い。でも敬愛するひとが亡くなってしまうのに早いも遅いもないわけで、どのタイミングで亡くなってしまってもただただ悲しい。強いて言うなら年齢を重ねれば重ねているほど「もしかしたら」の覚悟は常に心にもっておける分受け取り方は変わってくるかもしれない。櫻井さんの場合はその「もしかしたら」がまったくなかったのでこのような心境なのだろう。

BUCK-TICKはずっとあの5人で続けていくバンドだとしか思っていなかった。中学の時に夢中になり、それまでリリースしていた全曲を網羅し、繰り返し聴き、ギターを買ったものの何をしていいかわからなかった僕に初めてギターフレーズらしいフレーズを弾かせてくれたのもBUCK-TICKだ(ベタですけど悪の華のイントロ)。あのときから今まで変わらないメンバーでコンスタントに音楽活動を続けているのって本当にすごいことだと思う。

年を追うごとにすべての曲を追うことはできなくなってしまっていたけれど、ニューリリース情報を掴むことができれば聞いていたし、そのたび変わらない5人を見て安心感をおぼえていた。それが”当たり前”だったのだ。

今回のことを受けて、”当たり前”にくる未来なんてやはりないのだなと再認識させられた。「推しは推せるときに押せ」これが真理。会いたいひとには会えるときに会いに行けもまた然り。

面倒臭いとかなんとなくあとでいいやと物事を後回しにしがちな僕だけど、後悔を1つでも減らすにはそのあたり自分を律していかないといけないと思わされた次第。

ちなみに、櫻井さんはファンの間で「魔王」と呼ばれていた(年齢を重ねても美しさが衰えないから)。今回彼岸に行くことになって本当に現地の魔王として君臨したりするのかな、なんて思うことでほんの少し悲しみをやわらげよう。

櫻井さん、これまでありがとうございました。そしておつかれさまでした。生き返るなら遠慮なく生き返ってください。お待ちしてます。

DIQ見に行くつもりでツアーファイナルになってしまった2010年暮れのライブ。最高だったけどね。