普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

必要に迫られれば車×お寺という発想にいたるもんなんでしょうか

突然ふと思った。

霊柩車って冗談みたいなビジュアルしているな、と。

だってこれだ。

フリー素材ですよ、念のため。

これは宮型の霊柩車というらしい。厳かなシーンで、または悲しみにくれているシーンで触れることがほとんどだったので、そのデザインについて深く考えることはなかったが、よくよく考えると異様なのではないだろうか。というかそもそも違法改造ではないのか。改造の方向性が暴走族の族車のそれであるように感じる。

答えは否。もちろん違法ではない。まあ当然といえば当然である。ただ、許可などは必要だったようだ。”だった”というのは今は禁止されているからとのこと。法的な問題により新造することができないらしい。最近このタイプの霊柩車を見ないなと思ったらそういうことなのか。その他豪華絢爛な葬儀をあげるのも時代に合わないみたいな部分も宮型減少の理由のひとつであるとの由。

日本人は死を「穢れ」として受け止める傾向があるので霊柩車を見かけるといい気分がしない、というか親指を隠すみたいな露骨な忌避行動をとるが、お国が変われば考え方も変わるもので、モンゴルあたりでは「走るお寺」として人気らしい。

日本では遺体を乗せる役割としてしか使われてないけど、もしかしてモンゴルでは内部に本当の寺院の役割を持たせてしまったりするんだろうか。いや、それくらいやっていてほしい。お寺の出前。観音開きの扉を開けたら中でお坊さんが線香炊いてお経唱えているとか見てみたい。役割としてはほぼキッチンカーだ。

それにしてもビジュアルである。棺の運搬には車が適しているけど、宗教テイストも施したい。「よし!車にお寺つけちゃおう!」ってなるだろうか。考え方としてはわりと乱暴ではある。かつてハンバーガー屋のウェンディーズで”あんバーガー”というものが提供されていた時期があり、そのキャッチコピーが「お肉のかわりに「あん」をいれてみました!」だった。キャッチコピーの語感も含めて実験的雰囲気のただよう商品だなあと思ったものだが、よくよく考えてみればパンの間にあんが入っているのはあんぱんなので車にお寺を融合させるよりは道理にかなっている。なんだろう、ドラゴンカーセックスという発想に辿り着くタイプのひとが宮型霊柩車を発案したのかもしれない。

昔から「こういうもの」として見ているので特に何も思わないけど、宮型のスタイルの霊柩車が今の時代に開発されたら絶対に不謹慎だ!とかいうひとがあらわれてひと燃えしたのではないかと思う。もしかしたら宮型が開発された当時も賛否はあった可能性はあるが、現代ほど延焼はしなかったのだろうと思われる。

ちなみに、初めて知ったのだけど霊柩車は緑ナンバーで運用をしないと違法らしい。緑ナンバーはざっくり言えば物やらひとやらを運んでお金を請求することを許可されたことの証。その許可を得ていない(白ナンバー)でお金を払って棺を運んでもらうのは頼んだひとまで罰せられる可能性があるので注意だ。「注意だ」とか言っておいてついさっき知った情報なんですけどね。あとさっき知ったついででお伝えしておくとあの「宮」部分は本当に宮大工がこさえているらしいです。ということは建立よ、建立。本格派。

今の時代に合わないみたいなことを言われつつも、文化として受け継がれてきたものななら個人的には宮型の霊柩車はありなんじゃないかなと思ったりするのだけど、いうて昭和生まれの価値観ですから令和の子たちからみたらやっぱり異様にしかうつらないのかもしれないな。