道端にパンが落ちていた。見たところこれは食パンだ。落ちていたのは公園や広場ではなく何の変哲もない路地の路肩。
僕の日常の価値観と照らし合わせると食パンとは結びつかない場所だ。ふつうに考えれば食パンを食べながら歩いていたひとが口に入れ損じたパンを落としたというところではあるのだけど、その「ふつう」どの世界のふつうかねと問いただしたくなる。
原因はなにであれ、落ちているのは事実なのでそこから先のことを考えてみよう。僕からしてみたら道に落ちている「元食べもの」ではあるけれど、鳩からしてみたら激アツボーナスステージでしかなく、蟻などからしてみたら徳川埋蔵金を掘り当てたかのごとく人生(蟻生)を狂わせるほどの大きな出来事となるのではないだろうか。
これをもう一度人間のサイズ感に戻して考えてみると、すでに誰かが仕留めてある状態のマンモスを独り占めできるとかそのくらいの具合だろうか。
思ったほど大袈裟なものでもなかったけど、でも食べるために生きている中なんの苦労もせずに食べ物が手に入るというのは生き物としては非常に有利な話だ。
そして蟻はこの状況を嬉しそうに周りのものに話し、幸せに暮らしていくのだけど、ズル賢い隣に住んでいる蟻が働くことをやめ、落ちているパン頼りで生活し始めて結局みつからないで欲深い隣の蟻は冬を越せずに命を落とすのだろうな。というかこれ途中からアリとキリギリスと花咲か爺さんだな。
花咲か爺さんなども最初のおじいさんがこぶをとってもらって、その話に乗っかろうとした隣のおじいさんが最初のおじいさんのこぶまでつけられてしまうという憂き目にあっているけれど、現実として後から体験するひとのほうが傾向と対策がきちんと練られるため、最初のひとよりも得をするというパターンもあってもおかしくないと思うのだよな。
花咲か爺さんでいえば後につづくおじいさんはもうこの際自分のこぶをとるのはいったん置いておいて、こぶのある人間を鬼へと斡旋する道を選べばよかったのだ。そしたらこぶを取りたいと相談を持ちかけてきたひとから仲介料をつまんで鬼にもそれなりに報酬を支払い、自分はきちんと貯めたお金で鬼などというリスクを背負わなければいけない先ではなく、正規の美容整形に依頼してこぶをとってもらえばよい。
なんだこれは。こぶを取りたいひとが債務者、鬼が反社勢力みたいになってきたな。ウシジマくんか。この流れだと斡旋おじいさんはこぶの代わりに腕の一本くらいなくなるほど凄惨な目にあってしまいそうだ。
鳩も蟻もおじいさんも偶然舞いこんできた幸運に惑わされず堅実に生きていってほしいわけですよ。そしておじいさんは早めに反社会的勢力との関係を謝絶することをおすすめしたい。
こぶだって個性だよ!